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AZUMI (ryo.ta) のつぶやき日記 #DavidBowie 情報まとめ

近況

2012-07-30 06:02:48 | #david bowie
1年以上間が空いていることに気が付いたので
ちょっと近況を‥

あの未曾有の被害をもたらした大地震の後、
我が家を激震が襲いました。
母が脳出血を起こしたのです。

右側頭葉用の皮質下出血。
当初は軽い出血だったのですが、
発症がゴールデンウィーク初日だったことが災いし、
搬送先の大学病院付属の救急救命センターにおいて、
診断と治療に若干の誤りがあったらしく、
9日目に母のかかりつけ総合病院へ転院した日には、
脳幹ヘルニアにより四肢麻痺の重篤状態になっていました。
‥にもかかわらず、大学病院側からその説明は無く、
救急車での転院となったものの、救急隊も訝しげ。
付き添いの医師に聞いたところで全く状況は不明。
しかも、転院に際し必要不可欠なCT及びMRI画像の添付が無く、
受け入れ先では右往左往。
刻一刻と母の状態は悪化の一途をたどりました。

尚、転院の打診に関しては家族にまったく相談無し。
当日の朝に電話により「付き添えますか」と連絡があった。
通常考えられない自体である。
しかもCTもMRI画像も添付せず、
打診の書類には「左側頭葉皮質下出血」と書いてあったそうで、
救急救命センターの医師の所行とは思えないお粗末さである。

とはいえ、後日、付属の大学病院の内科医の医師が状況を聞いて呟いた。
「連休中かぁ‥。一番手薄な時に行っちゃったんですね」

教訓、連休中に大学付属の救急救命センターには行くもんじゃない。
なぜなら連休に出ているのは、ぺーぺーの研修医ばかりだから。





そして、転院先の総合病院での手厚い看護により、
母は一命を取り留め、少しずつ回復を見せ、
どうにかこうにかリハビリ病院で3ヶ月頑張り、
そしてようやく、昨年10月末に自宅へ帰りました。

それから、今年の5月末までの7ヶ月間、
姉と私とでかなりの重労働を強いられながら、
在宅介護の日々を過ごして参りました。
その間に訪問リハビリや、通所リハビリなどを利用し、
支えは必要ですがなんとか立位保持もできそう!
というところまで回復。


‥しかしながら、脳の損傷は担当医の想像を遙かに上回り、
脳からの指令がうまく出せない状態は改善しませんでした。


更に、5月末には姉が入院&手術となり、
私一人では介護が難しいため、しばらくの間
通所していた介護老人保健施設へショートステイさせました。
‥これが誤算。
ほんの数日で母は全く立たなくなりました。
要因はさまざまありますが、
まず、日中の殆どをベッドで寝かせている。
リハビリは週2回(4回以上と希望したにもかかわらず)。
更に、食事が粗末‥。水分も少ない。
ただでさえ機能低下している母にとっては、
もう、寝たきりになれと言っているようなものでした。

在宅介護中、日中も殆ど昼寝もせず過ごしていました。
訪問リハビリは午前中だったので、
午後からは姉と私とでいろいろと工夫をして、
字を書いたり絵を描いたり、ゲームをしたりと。
それを七ヶ月、自分のことを全てなげうってやっていた‥
にもかかわらず、それがほんの数日で全て水泡に帰しました。

介護老人保健施設側は言います。
「入所時と変わりませんよ」
非常に腹立たしかったのですが、
姉の治療が続く間は在宅介護は無理なので、
ショートステイを繰り返すしか無く、
ここで揉めても行き先が無くなる‥と我慢の日々‥。

洗濯物を取りに行ったり、様子を見るたびに、
母は殆ど寝たきりの状態に戻っていく。
しかも、口腔ケアがひどすぎた‥‥。
通所で七ヶ月通っていた老健なので、
姉の手術に際しかなり融通を利かせて頂いた。
それに関しては非常にありがたいのだが、
もう、1日も早く別のところに移動させたい、と日々思う。
しかし、様々な理由で簡単には受け入れて貰えない。


そんなこんなで‥

姉の放射線治療がまだ続く上に、
在宅での介護は非常に困難な状況に陥ってしまい、
少しでも環境の良いところで落ち着かせたいが、
なかなか受け入れてもらえる施設がなく困っていましたが、
ほぼ全面個室で若干費用のかかるところではありますが、
もうすぐ空きが出るという連絡をうけ、
すぐさま入所の手続きをとりました。

今後のことを思うと一刻も早く、と考えて居たところ、
予定よりも一月近く早くベッドに空きができ、
先日、母を介護老人保健施設に長期入所させました。


まだいろいろと手探り状態ですが、
‥まだまだ先は長いと思われますので、
今はこれで少しでも落ち着けることを願っています。


尚、上記のような事情により、殆ど全ての個人的な活動は停止中です。
David Bowie関連どころか、実は仕事も殆どできませんでした。
母が在宅になる前に、一つだけ装丁のお仕事もさせていただきましたが、
その後はお手伝い的なライター仕事をいくつかさせていただいたくらいです。
そろそろ、仕事も本格的に考えていかなくてはならないところです‥

以上、長くなりましたが近況報告でした。

コメント
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