「映画「維新の魁ー鳥取藩飛翔ー」
「水鳥密約」
水戸藩浪士、薩摩藩士が大老・井伊直弼を暗殺した「桜田門外の変」。その後、関鉄之助が鳥取藩まで行くのは、それ以前に「密約」があったから。
映画「桜田門外の変」では「密約」の描写が端折られていたので、何故関鉄之助が鳥取藩を頼ったのか不思議でしたが、答えは森本監督の映画と講演の中にありました。
「鳥取藩・水戸藩は徳川一門でありながら尊王攘夷を唱え、水戸学で育った多くの志士が倒幕の魁を行いました。」登場人物の中でも、水戸藩弘道館で学んだ鳥取藩士があり、親しく熱く語り合っていました。
< 歴史メモ >
1858年(安政5年)8月「戊午の密勅」があり、会沢正志斎が返納を主張、民衆が小金宿に集結しだした頃。関鉄之助は10月に越前藩・鳥取藩・長州藩へ赴いています。水戸から鳥取までの行程は約3ヶ月。
鉄之助は翌年3月には高橋多一郎等と井伊大老暗殺を策謀。後に「安政の大獄」「勅書返納決議」があり、「長岡屯集」、翌々年1860(万延元年)3月3日の「桜田門外の変」へと繫がって行きます。
「本圀寺激論」
あの当時どの藩内でも大激論があったのだろうな、と思いました。
水戸藩では↑の「密勅返納」。
お城の広間で裃姿の老中が、というイメージですが、幕末はどの藩も「どうするか」「どちらにつくか」で大混乱だった事でしょう。
ちなみに「本圀寺」は、国元から出向いた水戸藩士達の宿坊でした。(「さいみ党(天狗党)」に加わったのも「本圀寺党」でしたね)「本圀寺」の「圀」の字は水戸光圀公の名前と同じ文字を頂いているのだそうです。兄弟藩のよしみで鳥取藩も利用していたという事で、両藩の接点は大いにある場所です。
ボランティアとはいえ、舌を巻くほど演技が自然でお上手な方もいらっしゃって、そんな所も見所の一つですね。ちなみに映画「桜田門外の変」の立役者 橘川氏が水戸系尊王処士 櫻任蔵役でご出演されています。今後も同じ役でご出演だそうです。
第3弾の短編映画の計画も順調に進み、先だっては衣装合わせをしたそうです。「池田屋事件」ではもちろん新選組も登場!今後は「水戸藩を舞台のものもあるので、ロケや映画上映でまた水戸に来ますよ!」との事で、茨城空港⇔米子空港便が出来るのを楽しみにしています、とブログに書かれていましたv
※再び失礼!現在の「本圀寺」は山科区にありますが、幕末当時は、本当に西本願寺の近くにあったそうです。調べようとして現在の地図を見てしまうと、移転後という事があるのですねぇ・・。確かに宿坊がそんな遠くては不便ですものね。(H26,06,30記)
「あやめの里便り」では、今後の情報も解り次第upして行きます。
詳しくは→ ※映画「維新の魁ー鳥取藩飛翔ー」のお知らせ
「なめがた新選組まつり」
15日は台風の為、パレード・チャンバラ大会が中止となりました
それ以外は、「霞ヶ浦ふれあいランド」様のご好意により、室内で無事に開催となりました。
ありがとうございました
当日の様子は「新選組!茨城玉造隊隊長のブログ」にてご覧になれます。
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