(茨城新聞 12月18日(日)記事より要約)
江戸時代後期の考証学者、漢学者である宮本茶村のご子孫が、茨城県立歴史館に181点の膨大な伝来史料を寄託。その中に宮本茶村が著した中世史料集「安得虎子」原本13冊もありました。
確認された「安得虎子」原本は、写本で確認されていた1、3、5、6、10、11巻と新出の2、4、7、12〜15巻。8、9巻はなかったそうです。茶村の自筆と見られ、細かな文字がびっしりと詰め込まれた史料の写しとなっています。
「安得虎子」は、茶村が中世茨城の歴史をまとめた「常陸誌料」など晩年の著作の元本で、著作のためにさまざまな調査史料を写した“ネタ帳”のようなもの。今川義元の判物の写しなど、新出史料の可能性のあるもの、また鹿島神宮の社家の吉川家に伝わる文書などが含まれています。
「安得虎子」原本などの新史料は、同館で今春、デジタル写真帳で公開される予定。
宮本茶村(1793〜1862年)
水戸藩領 行方郡潮来村(現潮来市)の庄屋の生まれ。兄の篁村とともに江戸の山本北山に学ぶ。のち私塾「恥不若(ちふじゃく)」を開き、延方郷校でも子弟の教育に尽力した。茨城新聞社初代社長で自由民権運動家の関戸覚蔵も門弟。水戸藩主徳川斉昭の天保の改革に力を尽くして郷士となり、天保の大飢饉には義倉の蓄えを開放し、私財を投じて村民救済に努めた。幕府により蟄居謹慎を命じられた斉昭の雪冤運動に参加し、水戸藩赤沼に投獄される。獄を出た後は著述に専念。会沢正志斎や藤田東湖、立原杏所、渡辺崋山、色川三中らと交友し、吉田松陰の来訪も受けたとされている。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます