あやめの里便り

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2006鴨忌

2006-09-18 18:00:14 | 新選組に縁の地

9月17日。
新選組初代筆頭局長であった芹沢鴨と、平間重助の法要が、行方市の法眼寺でとり行われました。
近藤勇の実家宮川家も参加し、ご近所のおばあちゃん達や観光客の方々、また劇団や新選組流山隊の方々等、少ない人数ではありましたが、単に観光の為ではない真摯なお式でした。

大河ドラマ「新選組!」があった事で、その年に(たぶん)初めて法要がとり行われ、芹沢鴨、平間重助、伊東甲子太郎のご子孫、そして近藤勇の実家宮川家のご子孫が一堂に会し、暗殺したもの、されたものの垣根を越えて和解の握手を交わしたのは、まだ記憶に新しい事。
その縁が今だに続いている事は、とても素晴らしいと思います。

午後からはあさくらゆう氏の講演会。
題材は「相馬主計」。
お正月に「新選組!!」が放映されたのでご存知の方も多いと思いますが、最後の新選組隊長。
しかしながら地味な(きっと真面目な人だったのだろう)目立たない方なので、私も好きな隊士ながら、『大久保大和(近藤勇)釈放の嘆願書を携えて板橋へ。後野村利三郎と共に釈放。笠間藩お預かり後放免。彰義隊残党と共に行動し、後土方歳三のいる旧幕府軍と合流』・・こんなあらすじのような経路しか判りません。

さて講演では・・。
おお、さすが『フィールドワークと公文書から真実を暴く』歴史研究家!
謎の多い「相馬主計」に鋭く切り込んで行きます。
まず「主計」という名前は上記彰義隊残党と出合った頃からだったようで、それ以前は「肇」としていたようです。それ以前もそれ以後も改名があったようです。
大河の頃から探しているとお聞きしていた出自も明らかになったようで、「おお!!」と言うばかりです。

そして、何故「最後の隊長」になったのか。
『「敗戦処理」を押し付けられ、責任を取らされ島流しに遭い、時代に乗れず切腹した気の毒な人。ああ隊長になったばっかりに』とまで言う人までありますねぇ。
しかし!逆です逆!!
旧幕府軍幹部として忙しい土方歳三に代わり、実質新選組を取り仕切っていたのが相馬主計であり、その死後、継ぐべくして隊長を継いだのです。

最大の謎とされる「割腹自死」。
亡くなった事は確かなようですが、割腹の記録はないようです。
ではどのように?・・謎です。
元官軍と元旧幕府軍(変な表記ですね)がいまだ因縁を持って睨みあっていた時代です。
元新選組隊士と知れて殺された者もあります。
自死であっても、記録を改ざんされることもあったかもしれません。
他力本願ですが、あさくら氏の今後の調査が待たれます。
なお、相馬主計についての詳しくは同氏「新選組読本~隊士外伝2」をどうぞ。
(yahoo!オークションにも出品されています)

夜は玉造座の演劇もあったのですが、用事があって見て来れませんでしたぁ!
この公演は茨城キリスト大学「劇団★タナボタしゅぎ」、玉造商工会の青年部が主体の「玉造座」の合同チームによるものです。以前は「玉造座」は無く、殺陣が多い激しい劇ながら、女性が多い為同人的なイメージだったのですが、今回は男性の部員が多く、リハーサルの声だけ聞いていても頼もしかったです。
練習について行くのは大変だろうけど・・青年部がんばれ!


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