もうすぐ国文祭で「天狗党」がデビューします。
良い機会なので書けずにいた事を出来るだけUPしたいと思います。
何しろ去年の事なので、ノートに取った以外ほとんど覚えていないのですが、
何とかまとめたいです(切実)
違ってメモしてしまった所もあるかもしれませんので、ご指摘頂ければ
有難いです。
筑波勢
1.筑波挙兵
1864年3月27日 中心になる100名余が筑波山神社にて決起。
大将 田丸稲之衛門(水戸町奉行)
藤田小四郎・竹内百太郎・岩谷敬一郎等
多くの参加者・軍資金が集まります。
2.日光へ
4月5日ごろから日光へ移動
「尊王攘夷」という自分達の行いが、幕府に対しても刃向かうものでない事を証明する為のものだったのでしょう。
しかし幕府には、挙兵するなどとんでもない話です。
幕府の命を受け、宇都宮藩が農民を中心に200名が守ります。
仕方なく天狗党は宇都宮藩家老と話し合い、代表のみが日光東照宮に参詣。
他は今市市、後に大平山神社に。14日から50日間駐屯します。
その間、武器(石岡・土浦・江戸?から)・食料を買い整えます。
この時代、この「買う」というのは特徴的。
例えば幕府が徴収した場合、一文にもなりません。
天狗党は日当250文を支払っています。
水戸藩から説得の者2名(田丸の兄弟・山国兵部を含む)
天狗党は大平山神社を引き払い筑波山に向かいます。(約400名)
3.「下妻の戦い」
6月17日江戸発 幕府からの追討軍 約5000名
・水戸藩より市川三左衛門他700人余参加
・栃木・群馬
7月5日着 何故2週間以上もかかったのか?
講師の先生によると「戦さをやる気なかったんだね」
そんなやる気のない追討軍でしたが
7月7日「下妻の戦い」が始まります。
偵察に来た追討軍に、天狗党が発砲した為ということです。
これは偶発的な戦いで追討軍の勝利。
7月8,9日、戦勝に良い気分の追討軍に筑波勢が夜襲をかけ、筑波勢の勝利。
(この頃には、約1000名にもなっていました)
ただ、そのまま「天狗党が来る」という噂が立ち、下妻藩の藩兵が街に火を掛けてしまったのはお気の毒な話。
4.水戸へ
水戸では、下妻から戻った市川三左衛門他諸生派が実権を握り、天狗派の家族を牢獄に監禁など残虐な仕打ちをしていました。
藩主の命で下妻に出向いた市川等でしたが、江戸に戻ろうにも、その時には天狗派の者が要職に付いていた為戻れず、水戸城に立て篭もってしまったのです。
この時代「牢獄」に入れられるという事は、その劣悪な環境から「死」を意味するものです。
水戸藩出身の筑波勢の者は、家族を救う為に水戸へ。
*しかし3割の人間は水戸藩とは関わりがなく、初めの志通り「攘夷(横浜港閉鎖)」を目指します。
ここで分派が生まれます。
7月26日 水戸「たまげ橋」のたもと肥前堀を隔てて諸生派・筑波勢ともに砲撃。
数百戸焼失。諸生派の勝利。
戦死者 筑波勢12.3名
負傷者 筑波勢 40名余 諸生派 軽症2名
*水戸城下は保守門閥派の天下となる。
市川等 要職の独占を図る。反対派の徹底弾圧、激派の家族に残虐な仕打ち。
同日 幕府第二次追討軍 江戸発
常野追討軍総括 外国掛若年寄 相良藩主 田沼玄蕃意尊
5.分派勢 鹿行地方へ
(注 ここでの「分派勢」というのは、私の勝手な呼び方です)
鹿島・大船津から横浜へ行こうとする分派勢がありました。
9月6日 大船津へ集結 水戸領以外の者300名程
幕府令「漕ぎ手は隠れるように。船は浮島へ移動する事」
南北からも追討軍がやってきて、行き場を失った分派勢は内陸へ向かいますが、その途中で延方・潮来は騒動になり、「潮来郷校」「潮来陣屋」も消失してしまいました。
また、幕府は麻生藩へも追討令を出しています。
9月7~10日 「青沼村の戦い」
(旧麻生町)一丁窪での戦いで分派勢は全滅してしまいます。
分派勢が戦いながら通った道々には「天狗塚」が残っているとの事で、私も探してはいるのですが、まだ巡り合えません。
6.田中愿蔵
「栃木で資金を集め、甲府(山梨)から横浜へ斬り込もう」と、田中愿蔵他300名余が別行動をとりました。
その通りに栃木・土浦・石岡と資金を集め、出さない家には火をつけた為、「愿蔵火事」と言われました。
天狗党からも除名処分を受けましたが、本隊に続き水戸領内に。
大発勢に合流しようとしますが、許されず。
9月17日 山野辺義芸が投降した後の助川海防陣屋を攻め、占領に成功。その後、二本松兵、水戸城兵が大挙来襲。
9月26日 田中愿蔵隊は北方へ逃走。解散。
10月4日 福島県真名畑村の山小屋にひそんでいるところを農民にみつかり、塙代官所に捕らえられる。
10月16日 田沼総括の命により斬首。21歳。(塙 下河原の久慈川畔の刑場)
今ではそこは「道の駅」になっていて、碑も建っているようです。
悪人ともヒーローとも言われる人なので、どんな書かれ方をしているのか興味があります。
講座で聞いたものはこれだけでしたが、分派は他にもあるのかもしれません。
*参考書籍 「写真紀行 天狗党追録」
だから、大元は講師の先生と著者の室伏勇さんのお陰なんです。
お二人とも、実際に現地に出掛けていろいろと調べていらっしゃいます。
この後は、ものすごく大変です。
昨日は3時間パソコンに打ち込んでいたのが、パアになってしまって脱力しました。。。
幕末は、日本全国いろんなところでエピソードがありそうですね。