「新見錦 切腹」の文久3年9月13日のお天気を、幕末気象予報士様が解説して下さいましたよv
「ご自由にお使い下さい」と仰って下さったので、お言葉に甘えて掲載させて頂きますvv
文久三年九月十三日は西暦では1863年10月25日になります。
秋もだいぶ深まった頃です。
まず、天気概況を見てゆきますと
九月十一、十二日は、太平洋側では、北海道厚岸町から江戸、大阪、鹿児島県肝属町まで全国的に晴れ。
一方、日本海側では、大陸からの寒気の流れ込みにより、福井県鯖江、新潟県巻町、秋田県能代市などで雨 となっています。
十三日は、奄美大島で曇天雨。鹿児島県肝属町で雨天。小倉市で陰、午後微雨。
広島で曇、昼後より雨。大阪で、晴夕方より雨。
江戸で、早天より小雨終日。銚子で、雨天西北風となっていて、太平洋の南岸に雨域 が広がって来ているのが分かります。
昨日まで雨がちだった日本海側は鯖江、巻町などで晴天となっています。
総括しますと
九月十一日十二日の寒気の流入により太平洋上で弱い前線が形成され、十三日には寒気流入が弱まり前線が北上して太平洋南岸の降雨になったと思われます。
さて、太平洋南岸でもなく、日本海側でもない京都の天気はどうでしょうか。
史料によると、
晴【二條家御番所日記】【京都】
曇天【万里小路日記】【京都】
晴陰不定【中山忠能日記】【京都】
曇天夜同断【高木在中日記】【京都】
となっています。
京都の九月十三日の天気は、曇り で時々日差しがあり、夜も曇りで十三夜の名月は見えなかったようです。
「新見錦」について
この記事を書いた当時は「新見錦は文久3年9月13日、京都祇園にて切腹」とされていましたが、研究が進み、「読みは『にいのみ にしき』で変名、新家粂太郎が本名。亡くなったのは京都ではなく長州」という説が有力となっています。(H28,2月記)
詳しくは「ウィキペディア(新見錦)」へ。
凄い記録ですね。
鴨忌本番は晴れてほしいです。そして、おもいきり斬りたいと・・・・
でも、ホントに斬ったら痛いだろうなぁ~(涙)
切腹はものすごく苦しいので、武士の情けで介錯が付きます。
武士の世も進んでいくと、白扇子で腹を斬る恰好だけして、介錯で命を絶つ場合もあったらしいです。
どちらにしても嫌ですよ。。
実は↑この情報、カーペンターさんにも行ってますv
と、言う事はvv・・ですよ!