朝食はバイキング。
お粥がおいてあってウレシイv
開館時間はどこも10時くらいだろうと、9時半にお宿を出る。
まずは「七日町駅」付近。
「新選組記念館」
見慣れたダンダラの旗が閃いているので、直ぐに解ります。
一階は古物屋さん。二階が資料館。
お宿で割引券をもらったので、入館料がお安くなります。
個人で収集されたのでしょうが、結構すごい。
本物率がかなり高いです!
大河ドラマの時のポスター等もありますが、違和感なしv
一階に降りて改めてお店を見せて頂くと、これもまた何気にすごい。
何が入っているか解らなかったフィギュアが、名指しで買える!
『新歴史浪漫2 特別編 新選組戦場録』の『芹沢鴨(大和屋焼打ち事件)』
買って来ましたvv
見本だけがケースに置いてあるので、お店の人に取ってもらうのですが、鴨さんを出すのは珍しいのかな。
「あ、水戸(ナンバー)ですものね」
「玉造からなんですよ(本当は潮来なんだけど・笑)」
「会津には水戸藩も来ていたんですよ。市川三左衛門とか」
ええええええええええっっっっっ。
ここでその名を聞けるとは!!!!!
なんでも「白虎隊記念館」に遺品が寄付されているらしい。
それは、行かねばなるまいっっっ。
七日町には新選組縁の場所がいろいろとあるので散策したかったのだけど、「飯盛山」に向かう事に。
やっぱり、そこには向かう運命だったのかな・・。
「白虎隊記念館」
「飯盛山」参道(というのかな??)の中腹にあります。
敷地に入ると・・何と!
「水戸藩諸生党鎮魂碑」
これもまた複雑な気持ちになりますが、水戸にはあるのかどうか。
記念館の中では、淡々と史料が並べられています。
実際に戦いの中で使われた物の重み。
人間の命の重み。
それを会津の方々がどう伝えて行っているのかが、私としては気になる所でした。
展示を観ながら進む中で、筆書きで書かれた張り紙が・・。
「白虎隊」の悲劇のあった地に、ひっそりと綴られた言葉(内容は伏せますが・・)
「主戦」「不戦」その当時も激論が交わされていたのですから、声高には言えない事かもしれないけれど・・「戦い」や「悲劇」を美化したり、賞賛したりするのは、本当のところ・・私は苦手です。
ただ、忘れてはいけない事だと思う。
その為にも、伝えていかなければいけない事。
会津の方々の本当の思いは、この記念館で解るのかもしれません。
展示品の左手奥。
白い陣羽織がありました。
ご子孫が寄付された「市川三左衛門」の遺品です。
時代が変わり、今度は追われる立場となった諸生派は、水戸を脱出。
一度は会津を頼ったものの留まる事は出来ず、刻々と戦火が近づく中を新潟(一部は佐渡へ)まで行き、そこで官軍との戦いに参加して行きます。
そして会津へ。
官軍との戦いが続き、手薄になっていた鶴ヶ城で奮戦したようです。
(市川勢の動向については、後ほど記事をまとめたいと思っています)
2階にも史料展示があるのですが、ビデオ上映中の邪魔をしてしまうので、入口付近の物のみ見る。
修学旅行か、学生も多かったですが、彼等は何を思ったでしょう。
会津から、白虎隊から、伝わるものはあったでしょうか・・。
お粥がおいてあってウレシイv
開館時間はどこも10時くらいだろうと、9時半にお宿を出る。
まずは「七日町駅」付近。
「新選組記念館」
見慣れたダンダラの旗が閃いているので、直ぐに解ります。
一階は古物屋さん。二階が資料館。
お宿で割引券をもらったので、入館料がお安くなります。
個人で収集されたのでしょうが、結構すごい。
本物率がかなり高いです!
大河ドラマの時のポスター等もありますが、違和感なしv
一階に降りて改めてお店を見せて頂くと、これもまた何気にすごい。
何が入っているか解らなかったフィギュアが、名指しで買える!
『新歴史浪漫2 特別編 新選組戦場録』の『芹沢鴨(大和屋焼打ち事件)』
買って来ましたvv
見本だけがケースに置いてあるので、お店の人に取ってもらうのですが、鴨さんを出すのは珍しいのかな。
「あ、水戸(ナンバー)ですものね」
「玉造からなんですよ(本当は潮来なんだけど・笑)」
「会津には水戸藩も来ていたんですよ。市川三左衛門とか」
ええええええええええっっっっっ。
ここでその名を聞けるとは!!!!!
なんでも「白虎隊記念館」に遺品が寄付されているらしい。
それは、行かねばなるまいっっっ。
七日町には新選組縁の場所がいろいろとあるので散策したかったのだけど、「飯盛山」に向かう事に。
やっぱり、そこには向かう運命だったのかな・・。
「白虎隊記念館」
「飯盛山」参道(というのかな??)の中腹にあります。
敷地に入ると・・何と!
「水戸藩諸生党鎮魂碑」
これもまた複雑な気持ちになりますが、水戸にはあるのかどうか。
記念館の中では、淡々と史料が並べられています。
実際に戦いの中で使われた物の重み。
人間の命の重み。
それを会津の方々がどう伝えて行っているのかが、私としては気になる所でした。
展示を観ながら進む中で、筆書きで書かれた張り紙が・・。
「白虎隊」の悲劇のあった地に、ひっそりと綴られた言葉(内容は伏せますが・・)
「主戦」「不戦」その当時も激論が交わされていたのですから、声高には言えない事かもしれないけれど・・「戦い」や「悲劇」を美化したり、賞賛したりするのは、本当のところ・・私は苦手です。
ただ、忘れてはいけない事だと思う。
その為にも、伝えていかなければいけない事。
会津の方々の本当の思いは、この記念館で解るのかもしれません。
展示品の左手奥。
白い陣羽織がありました。
ご子孫が寄付された「市川三左衛門」の遺品です。
時代が変わり、今度は追われる立場となった諸生派は、水戸を脱出。
一度は会津を頼ったものの留まる事は出来ず、刻々と戦火が近づく中を新潟(一部は佐渡へ)まで行き、そこで官軍との戦いに参加して行きます。
そして会津へ。
官軍との戦いが続き、手薄になっていた鶴ヶ城で奮戦したようです。
(市川勢の動向については、後ほど記事をまとめたいと思っています)
2階にも史料展示があるのですが、ビデオ上映中の邪魔をしてしまうので、入口付近の物のみ見る。
修学旅行か、学生も多かったですが、彼等は何を思ったでしょう。
会津から、白虎隊から、伝わるものはあったでしょうか・・。
水戸藩諸生党鎮魂碑があったのですね。
おまけに遺品も
んーー感慨深くなりますね当時の様子が浮かびます。
最近、手元に藤田東湖の特集をした冊子が届き読み始めたところです。
お疲れ様です!
そうなんです。本当にびっくりしました。
諸生党約400名、会津でも戦っていましたよね。
ご子孫の方の思いも伝わってくるように思います。
本当に幕末は、一筋縄には行きません。
藤田東湖の特集!
後で、教えて下さいねvv