〇お話はまず「河童の恩返し」という茨城の昔話から始まります。
これはただの昔話ではなく、芹澤本家に伝わる「筋渡し薬」にまつわる伝承です。
手を返してもらった河童が、御礼に秘伝の薬を教えるというもので、お話に出て来る梶無川(かじなしがわ)は、芹沢では手奪川(てうばいがわ)と呼ばれています。
この場面をプロジェクト麗舞さんが語って下さり、素晴らしい導入となりました。
〇次のシーンは、子供時代の芹澤鴨「玄太」が登場。
ここでは、お話のキーパーソンである乳母やの「お里さん」が登場します。
玄太くんは4人兄弟の末っ子。親子ほど違う兄弟の年齢を考えると、乳母やさんがいてもおかしくは無いな、と思ったのが切欠です。
〇延方郷校? 弘道館?
芹澤鴨を調べていらっしゃる方は15才で延方郷校へとされています。実際、潮来で下宿のようにお世話になって、延方郷校に通ったのだそうです。
ここで、私は15才というのが気になりました。弘道館に入学が許されるのも15才なのです。
そういう訳で、平間重助のご子孫の方に確認をしたところ、
・弘道館には行った証拠も無いが行かなかった証拠も無い。
・天狗党の幹部は弘道館の出身者が多い。
・重助さんも弘道館へ行った。
という訳で、玄太くんには弘道館へも行ってもらう事にしました。
(行ったとしても、玄太くん時代ではないなぁ・・とは思いますが)
〇時代の切迫感を口上役にて。
真ん中では見覚えのあるマークの箱を背負った青年。誰だかお解りになりましたか?
〇長岡屯集後、関鉄之助と、下村継次(玄太の婿養子後の名前)の会話。
2人は弘道館で知り合った設定です。年上に「鉄之助ぇ!」なんて言わないでしょうけど。
そして井伊直弼襲撃の第2陣に控えていた(のではないか)というお話を使わせて頂きました。
当時、長岡屯集に関わった者は皆江戸を目指そうとしましたが、水戸藩が出さないよう、江戸が入れないように検問をしていた為、早く出た者や上手く掻い潜れた者しか桜田門外の変には参加出来なかったようです。
ちなみに、藤田小四郎は小川郷校と思っていたのですが、玉造郷校というお話を聞いたのも初稿後でした。これで、その先のお話も決まったのです。でも潮来郷校という話も聞いた事があり・・謎です。
〇桜田門外の変
新選組滝野川隊の皆さんがシーンを再現。それはそれは素晴らしかったです!
〇別れ
地元・玉造では、「玄太」「下村継次」「芹澤鴨」についての記録・エピソードがほとんど残っていません。
それはどうしてなのか。本当は地元の意思だったのかもしれないのですが、「俺を消してくれ」と下村継次に語らせました。それを聞かされるのがお里さん。お里さんにとっては、可愛い玄太坊ちゃん・・捕まるのも目撃してしまう、悲しい別れです。
お里さんが渡そうとしていた包み。あなただったら、何を入れてあげたいでしょうか・・。
〇獄舎
今のように人権が守られる筈もなく、酷い待遇だったようです。
「梅の香が・・」という台詞がありますが、季節になると舞い込む梅の香りに勇気付けられた、という話をある御本で読んだ事があったので、使わせて頂きました。
〇天狗党を除名処分
〇名を「芹澤鴨に変える
芹澤鴨の言った事として伝わる? (それとも小説の台詞?)
「敵味方両方ともが大店に金を出させている。それなら敵に渡す前に、こちらに先に渡してもらうまで」
・・というのも、それとなく採用。
〇土方歳三の生家の秘伝薬「石田散薬」
この薬を教わったというのも実は河童なのだそうです。
でも「河童大明神」という名前があまりにもコミカルで、台詞からはカット。
(もし再演があったら、この辺りを入れたいですねv)
〇後は粛清に向かって一直線。
本当は台詞がいろいろあったのですが、殺陣の都合でカット。
はっきりとは書きませんでしたが、心情としては、土方に藤田小四郎を重ねています。
〇ラストはお里さんの独白。
「芹澤鴨」という名前に込められたであろう意味を、お里さんが語ります。
芹澤鴨という人の生涯を順を追っていくと、そうとしか思えない。
それとも私の勝手な思いでしょうか。
立場によって正義だったり、悪党だったり。
伝わっている事も本当なのやら作り事なのやら、それを確認する事もままなりません。
想像するしかないのなら、演劇というのはなかなか良いツールだと思いませんか。
玉造座は公演が終わり、しばしの休息期間へと入ります。
そしてまた、渡り鳥のように「鴨忌」に向かって羽ばたきます。
その時には是非、またご来場下さいませ。
※ネタバレが過ぎるかな?と、1度は撤去していたのですが再度up。
素晴らしい客演の皆様と、地元の皆様のご協力、玉造座メンバーの熱意による素晴らしいお芝居。それは「芹澤鴨」の魅力によるものでもありました。
玉造座がお芝居を続ける事で、少しでも「芹澤鴨」に関心を持って下されば幸い。また、地元での新たな発見に繫がりますように期待しています(H24,11,20)
< ご注意 >
○芹澤鴨には「芹澤本家出生説」と「芹澤家分家出生説」があります。
「まちづくり市民劇団●玉造座」では、「芹澤鴨本家出生説」を基に活動しています。
「あやめの里便り」でも同様でしたので、言い切りの文章になっていました。今後、直せる部分は訂正して行きますが、脚本に関わる部分はそのままになっています。(H27,7月)
○私も勉強が進み、下村継次についての記述を目にしています。
「乱暴狼藉」と芹澤鴨の行動について言われていますが、玉造近辺での下村継次を知ったら、まるで可愛いものでした。また平間重助が芹澤鴨暗殺時について語っているようですので
「地元・玉造では、「玄太」「下村継次」「芹澤鴨」についての記録・エピソードがほとんど残っていません。」
と致しました。「ほとんど」とは書きましたが、全くありません。(H29,5月)
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