☆熱海七湯 ~河原湯~
このあたりを東浜といい、道もなく石のごろごろとした河原で、
温泉が絶えず豊富に湧き出ていて村人の入浴場でした。
湯治客は「大湯」の源泉が主に使われ、他の源泉も限られた家のみが使用するお湯で、
熱海村の農民や漁師や近郷の人達が自由に入浴できるのはこの「河原湯」だけでした。
寛文6年(1666年)小田原城主稲葉美濃守が、
村民のために浴室を設けてその屋根を瓦葺としたため、
「瓦湯」と称したとも言われています。
この湯は神経痛やリューマチなどに効能があり塩分が多く、
人が入ると透明な湯が白く濁るほどであったといいます。
2014年2月14日
このあたりを東浜といい、道もなく石のごろごろとした河原で、
温泉が絶えず豊富に湧き出ていて村人の入浴場でした。
湯治客は「大湯」の源泉が主に使われ、他の源泉も限られた家のみが使用するお湯で、
熱海村の農民や漁師や近郷の人達が自由に入浴できるのはこの「河原湯」だけでした。
寛文6年(1666年)小田原城主稲葉美濃守が、
村民のために浴室を設けてその屋根を瓦葺としたため、
「瓦湯」と称したとも言われています。
この湯は神経痛やリューマチなどに効能があり塩分が多く、
人が入ると透明な湯が白く濁るほどであったといいます。
2014年2月14日