どうも、藤原徳訓です。
今日は松下幸之助さんの、こちらの名言をご紹介していきたいと思います。
一方は「これで十分だ」と考えるが、もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。そうしたいわば紙一枚の差が、大きな成果の違いを生む
「これで十分だ」
「いや、まだ足りないかもしれない」
全く同じ状況でも、人の感じ方は千差万別ですよね。
ほんの少しの心の持ち方の違いが、その後の人生に大きな影響を与えることがあります。
今回は、経営の神様として知られる松下幸之助氏の「紙一枚の差」という言葉から、
現状に満足せず、常に高みを目指すことの大切さを改めて考えてみたいと思います。
~9歳の少年が抱いた「もっと学びたい」という向上心~
松下幸之助氏は1894年、和歌山県の貧しい農家に生まれました。
幼い頃から家計を助けるため、丁稚奉公に出されます。
過酷な労働環境の中、松下少年は持ち前の勤勉さで働き続けましたが、
学校に通えないことを常に残念に思っていました。
そんな彼に転機が訪れたのは15歳の時。
大阪電燈株式会社(現在の関西電力)に就職が決まったのです。
電気という未知の分野に少年は胸を躍らせます。
そして、昼間は懸命に働きながら、夜間学校に通い技術を学ぶ道を選びました。
「もっと学びたい、もっと成長したい」
彼のこの強い向上心が、後の「経営の神様」と呼ばれる人物を形作ったのでしょう。
~「紙一枚の差」がもたらす、大きな成果の違い~
松下氏は、その後独立し、松下電器産業(現パナソニック)を創業。
一代で世界的な企業へと成長させました。
そんな彼が、自身の経験を通して語った言葉があります。
「世の中の成功者の場合と、そうでない人の場合と、
一体どこが違うかということを考えてみますと、これはもうほとんど紙一枚の差だと私は思います。
たとえば、何かをしようという時に、一方は「これで十分だ」と考えるが、
もう一方は「まだ足りないかもしれない」と考える。
この紙一枚の差が、大きな成果の違いを生むことになるのです。」
松下氏は、自らの経験を通して、ほんのわずかな意識の差が、
大きな成果の差を生み出すことを実感していたのでしょう。
~「これで十分」の罠から抜け出すために~
松下氏の生い立ちと、彼の残した「紙一枚の差」という言葉は、
私たちに多くのことを教えてくれます。
貧しい境遇でも「もっと学びたい」という強い向上心を持った少年時代。
そして、世界的な企業を築き上げた後も、現状に満足することなく、
常に高みを目指し続けた経営者としての姿。
「紙一枚の差」という言葉は、松下氏自身の生き様そのものを表していると言えるのではないでしょうか?
私たちは、日々の生活の中で、知らず知らずのうちに
「これで十分」という意識に囚われてしまうことがあります。
しかし、常に「現状維持」を優先させてしまうと、
成長の機会を逃し、周りの人に後れを取ってしまうかもしれません。
「もうひと踏ん張り」「あと一歩だけ」という意識を持ち続け、
小さな努力を継続していくこと。
それが、松下氏が示した「紙一枚の差」を超え、大きな成果へと繋がる道となるのではないでしょうか。
松下幸之助さんはいくつも素敵な名言を残しており、その1つ1つに気づかされることが多いです。
また今後もたくさんの方の名言をご紹介していきたいと思いますのでよろしくお願いします。
今日の名言が皆様の人生をより良く輝かせる手助けになれば嬉しいです。
それでは、藤原徳訓でした。