藤原徳訓です。
いつも名言ブログを見てくださりありがとうございます。
今日は以前もご紹介しました論語から、孔子の教えをまた一つご紹介します。
~反省を促す鏡、孔子の教え「賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる」~
「あの人を見習って頑張ろう」「あの人はあんな感じだから気をつけよう」
私たちは日常生活の中で、周囲の人を見て、無意識のうちに自分と比較しているのではないでしょうか。
孔子の言葉「賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる」もまた、
人と自分を比較することから始まる、深淵なる自己成長の教えが込められています。
今回は、この簡潔ながらも力強い言葉が生まれた背景とその深い意味を探り、
現代社会に生きる私たちがどのように活かしていけるのかを考えていきましょう。
~乱世が生んだ、内省の重要性~
紀元前551年、中国は春秋時代と呼ばれる動乱の時代にありました。
権力闘争が絶えず、人々の道徳は衰退し、社会全体が不安定な状態に陥っていたのです。
そんな中、孔子はこのような混乱した時代を憂い、理想的な社会を実現するために奔走していました。
孔子は人々が各々の立場において仁、義、礼、智、信といった徳を磨き、
互いに尊重し合うことで、社会の秩序と安定を取り戻せると考えました。
そして、その実現のためには、人々が絶えず自らを省み、
向上心を持って努力を続けることが不可欠であると説いたのです。
~向上心の源泉「見賢思斉焉」~
「賢を見ては斉しからんことを思う(見賢思斉焉)」とは、
自分より優れた人を見て、その人のようになりたいと強く願い、努力することです。
孔子は、優れた人間の姿は私たち自身の可能性を示してくれると同時に、
向上心を掻き立てる力を持つと考えていました。
周囲の人を羨んだり、妬んだりするのではなく、
「あの人はどうしてそんなに素晴らしいのだろうか?」「自分には何が足りないのだろうか?」と自問自答し、
具体的な行動に移していくことこそが、成長へと繋がる道だと説いたのです。
~戒めの鏡「見不賢而内自省也」~
一方、「不賢を見ては内に自ら省みる(見不賢而内自省也)」とは、
自分より劣っていると感じられる人を見た時にこそ、自分自身の言動を振り返り、
反省すべき点がないかを見つめ直すことを意味します。
「自分はあの人よりはましだ」と安心したり、見下したりするのではなく、
「自分もあの人と同じような欠点を持っているのではないか?」
「あの人と同じ過ちを犯す可能性はないだろうか?」と自問自答することで
自分自身の隠れた欠点や甘えに気づくことができるのです。
~現代社会における孔子の教え~
現代社会は、情報過多で、常に他人と比較されやすい時代と言えます。
SNS上には華やかな成功体験や輝かしい功績が溢れ、
私たちは知らず知らずのうちに劣等感や焦燥感に駆られてしまうことも少なくありません。
しかし、孔子の言葉は、周りの情報に振り回されるのではなく、
あくまでも「自分自身の成長」に焦点を当てることの大切さを教えてくれます。
優れた点を持つ人から学び、改善点を持つ人から教訓を得る。
そして、その学びを自分自身の行動へと繋げていくことこそが、
孔子が目指した「日々新たなり」という境地へ至る道なのではないでしょうか。
~終わりに~
「賢を見ては斉しからんことを思い、不賢を見ては内に自ら省みる」。
この簡潔な言葉は、時代を超えて私たちに自己成長の真髄を問いかけ続けています。
他人と比較する日々の中で、この言葉を胸に刻み、絶え間ない自己研鑽を心がけていきたいものです。
本日も記事を見てくださりありがとうございました。
本日ご紹介した孔子の、この教えが皆様の人生をより良く輝かせる手助けになれば嬉しいです。
藤原徳訓
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