根岸湾の埋め立てが始まるのは昭和34年だったので、この頃はまだ16号線の近くまで海が迫っていた。その根岸湾に注ぎこむように流れていたのが聖天川である。聖天橋はそこに架かっていた。
この聖天橋は16号線が入ってきたときに架けられたものだが、それ以前は、おそらく「静樹堂」横の小さな橋が聖天橋と呼ばれていたと思われる。何年か前まで、「静樹堂」のそばに小さな親柱が残っていたのを見た方も多いのではないだろうか。
緑色に塗った一角は、現在、タワーマンションと「らびすた」が建っている場所である。16号線を挟んだ向こう側には映画劇場「杉田東映」があったが、昭和44年ころ、ここにパチンコ屋ができた。
消えた映画劇場に代わって、現在は「らびすた」の4階に「杉田劇場」ができている(緑色に塗った部分)。
この聖天橋は16号線が入ってきたときに架けられたものだが、それ以前は、おそらく「静樹堂」横の小さな橋が聖天橋と呼ばれていたと思われる。何年か前まで、「静樹堂」のそばに小さな親柱が残っていたのを見た方も多いのではないだろうか。
緑色に塗った一角は、現在、タワーマンションと「らびすた」が建っている場所である。16号線を挟んだ向こう側には映画劇場「杉田東映」があったが、昭和44年ころ、ここにパチンコ屋ができた。
消えた映画劇場に代わって、現在は「らびすた」の4階に「杉田劇場」ができている(緑色に塗った部分)。
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黄色に塗った店や施設は昭和30年代にはたくさんあった。助産婦、海苔店、古道具店、つり具店……。
茶色に塗った店は「野村電気商会」。実はこのお店は旧杉田劇場の緞帳(どんちょう)に広告を出して、劇場を応援していたことで知られている。
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