港南区役所の近くに大岡川と日野川の合流地点がある。ここから大岡川を遡ってみよう。橋には橋名のほかに川の名前も表示されており、この先の橋には大岡川と書かれているが、地元やグーグルマップでは笹下川といわれている。国土地理院の地図でも笹下川だ(冒頭の画像)。
これは横浜市が出している河川図だ。磯子区と金沢区の間にある円海山まで大岡川と表示されている。
横浜市のホームページで「笹下川」をキーワードにして検索すると、港南区役所のサイトばかりがヒットする。横浜市役所としては存在しない川名なのだろうか。
そんな笹下川を遡っていくと、田中1丁目あたりに左右手川との合流点が出てくる。上から見ると、まるで「入」という漢字のような流路だ。
ここから左右手川を遡ると、錦衣橋(にしきぎばし)が架かる笹下釜利谷道路が現れる。そこからさらに上流へ向かう。
次に現れる橋は左右手橋だ。
「左右手橋」と書いて「そうでばし」と読むはずだが、平仮名の橋名板は「そうてはし」となっている。これは「橋」には濁点を付けないという慣習があり、「そうではし」とするのが普通。(水が濁らないようにするという意味があるそうだ)
しかし、ここでは固有名詞まで濁点を外しているみたいだ。もしかしたら、「そうて」が正式名称なのか。
左右手橋から下流(笹鎌道路方面)を見る。
同じ場所から上流(根岸線方面)を見る。
道路と離れたり近づいたりしながら、左右手川を遡る。
流れる水はかなりきれいだ。
やがて、ここから川面は見えなくなる。この先はずっと暗渠が続き、次第に川筋を辿ることができなくなるのだ。
暗渠の上につくられた「子供の遊び場」。暗渠の上が緑道になることが多いが、これもそのうちの一種と言えるだろうね。
これは昭和30年代の地図。横浜市のホームページで見られる「よこはまっぷ」を使って田中町から洋光台のあたりを調べてみた。
赤い十字が暗渠の出口。ここから上流の川筋が見える。
しかし、現代では洋光台の町中に入ると、整然と区画整理された街並みが続き、左右手川の痕跡を見つけることはできない。
byうめちゃん
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