久しぶりに京急杉田駅の裏に出かけた。目的は栗木神社の総代のところへ行くことだったのだが、たまには新しいルートを通ってみようということで、桐ケ谷道に向かったのである。
ここで、何か違和感を感じた。いつもと風景が違うのだ。何かが足りない……。
そうだ、電柱に巻きついていた杉田湯の看板がないではないか!
どうしたのか、疑問に思って例の路地に入り込むと……
シャッターが開いていない! そして、その横に何かが貼られている。
うわ~、閉店だって!
どうして……。結構、お客さんが入っていたんだけどね。
これは昭和34年の明細地図。石川島播磨重工の広大な社宅敷地の一画に浴場がある。おそらく社宅に住む人たちが利用していたのだろう。
それが昭和46年の地図では、「杉田湯」となっている。会社の浴場が銭湯に変わったのだろうか。
それとも、もともと杉田湯という名前がついていたのに、地図上で省略されていただけなのか。
いずれにしても、浴場としては長い歴史があったようだ。
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