開港当時、戸部に座敷牢があった。これではまずいということで、近代的な監獄を現在の丸山町あたりに造ることになった。
当時の町境は今の直線的な堀割川ではなく屈曲した八幡川で、今の辺は根岸に属していたため、根岸監獄と呼ばれていた。その後、監獄法が改正されて名称も横浜刑務所に変更。
冒頭の地図は『磯子の史話』に載っている。刑務所跡の前には今も根岸橋が架かっているが、そのたもとに「差し入れ屋」があったそうだ。
受刑者に差し入れをするには、いろいろ煩雑な手続きがあったため、それを代行するのが差し入れ屋だったという。
100年前の関東大震災ではレンガ造りの外壁が全壊。また舎房の一部も倒壊した。その後、現地で再建したが、周辺の都市化や震災被害のたため、昭和11年に現在地である港南区港南4丁目に移転した。
やっぱり近くには差入店がある。
港南区役所の自転車置き場にあるサイン。なにやら赤いものが混じっているが……
そういうことだったのかぁ。
第62回いそご文化資源発掘隊
横浜芸者が伝える 関東大震災から100年の物語
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by うめちゃん
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