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『横浜市震災誌』によると、磯子の海岸沿いにあった料亭「偕楽園」に、すぐ近くの崖地が崩れ土砂が流れ込み、従業員ら21名が圧死したという。他の資料では20名とも、16名ともいわれているが、正確な人数はよく分からない。
崖地と「偕楽園」の位置関係を今昔マップで確認してみよう。
左が大正10年測図の地図。偕楽園のすぐそばまで崖が迫っていることが分かる。これが道路を越えて園内に飛び込んできたのだ。
右は現代の地図。崖地と道路の間に隙間がある。この辺が100年前に崩れた土地なのだ。
第62回いそご文化資源発掘隊
横浜芸者が伝える 関東大震災から100年の物語
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by うめちゃん
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