2022年11月7日に開催した「いそご文化資源発掘隊」の報告は杉田劇場のHP(アーカイブ)に書きましたが、そこに載せきれなかった部分をここで綴っていきます。
冒頭の写真は磯子区新磯子町39番地にある南部水再生センター(下水処理場)。昭和40年に横浜市で2番目の下水処理場としてオープンしました。ちなみに最初にできたのは、中区にある中部下水処理場です(昭和37年)。
南部の処理区域は南区の大部分、磯子区の中部・北部、港南区/中区/西区/保土ヶ谷区の一部となっています。磯子区の南部は金沢水再生センターで処理しています。
根岸湾の埋め立ては昭和34年から始まりました。埋立地にあるこの2つの処理場は、その事業に乗って進められていったようです。磯子区内の川はおそらく昭和30年代から暗渠化されていったと思われますが、『岡村の今昔』を読むと、「昭和24年初夏、磯子小学校裏手の禅馬川が暗渠になる入り口から、暗い中を歩いて行った」なんてことが書かれていますので、部分的には昭和20年代に暗渠化が行われていたのでしょう。
下水道が整備されていって、私たち市民の生活環境は一気に改善されました。それまでの川はゴミで汚れていたり、悪臭を放っていましたが、それらが改善されたし、また大雨が降ると浸水していたところも大幅に減りました。
ところで、下水道が整備される以前のトイレ事情はどうだったのでしょうか。年配の方々はご存じでしょう、汲み取り式でした。Wikipediaによると「汲み取り式便所(汲み取り便所)というのは、排出されたし尿を便器下の便槽に貯留し、定期的に人力あるいは機械によって汲み取る(抜き取る)形式の便所をいう」とあります。
(『トコトンやさしい下水道の話』より 以下の画像については注書きがない限り同書からの引用です)
日本をはじめ世界の国々では、こんな感じで処理をしていたようです。
これは昭和28年に美空ひばりが磯子の高台に立てた通称「ひばり御殿」です。写真は御殿に住んでいた親戚の方からスキャンさせていただきました。
これは磯子区役所が発行した『浜・海・道Ⅱ』に載っている御殿の全景。
親戚の方によると、御殿内のトイレは水洗式だったといいます。しかし、あの時代、下水処理場はまだ建設されていませんでしたので、水洗式といっても浄化槽だったのでしょう。さすが、ひばりさんちのトイレは清潔だったようです。
さて、水再生センターができて下水はそこに流れ着き、きれいに処理されて海に放流されますが、そこに至るまでの下水道管には下の図のように2種類あります。
合流式は風呂、トイレ、台所、雨水などの水を1本の合流管に集めて流しています。
分流式は生活排水を汚水管へ、雨水は雨水管に流しています。
分流式はこのように処理して流しているのですが、合流式はどうなっているのでしょうか?
通常は合流管もすべてが下水処理場に集められて、処理したあと海や川に流されるのですが、大雨が降ったときは大変なことになります。汚水混じりの大量の雨水が処理場に向かうのですが、このままでは処理場の能力をオーバーしてしまいます。
大雨が降った時、図のように合流管で集められた汚水は、雨水吐(うすいばき)という中間の桝で、ある一定の量を超えたら処理せずにそのまま放流してしまうのです。
さて、磯子区では合流式、分流式、どちらなのでしょうか。
これは横浜市のホームページから閲覧できる「だいちゃんマップ」。下水道台帳をスクロールしながら拡大して眺められるという便利なシステムです。
薄茶色のエリアが合流式、黄緑色のエリアが分流式なのですが、「浜」周辺はすべて合流式です。これの閲覧範囲を広げていっても、区内はほとんどが薄茶色になっていることが分かります。
禅馬川が流れる岡村付近を拡大してみました。緑色が合流管です。茶色は分流汚水管、青色が分流雨水管です。
ご覧のようにほとんどが合流管なのです。郊外の新しい区と違って磯子は古い区です。なので下水管のほとんどが合流管なのも仕方ないのかもしれません。
禅馬川の下流部分です。磯子小学校のあたりから青色の管が出てきます。これは分流雨水管ですが、どういうことなのでしょうか。
さらに拡大してみます。岡村から合流でやって来た汚水が、なぜか磯子小学校の前で合流管と雨水管に分かれるのです。混ざってしまった水を分離することはできません。どういうことかというと…
「雨水吐室」、「雨天時越流」という文字が見えます。先ほど見てきたイラストにある雨水吐ですね。この先、水再生センターが近くなっていますので、おそらく大雨の時にここで越流させているのでしょう。
このあとは2本並んで流れているようです。
国道を越えると雨水吐から越流した汚水はそのまま海に向かっています。
一方、緑色の汚水管は水再生センターへと流れていきます。
さて、こっちは杉田6丁目の下水道台帳です。上の方は分流になっているようですが、途中から合流管に接続されています。
拡大してみると、はっきりしていますね。汚水と雨水が合流管につながっているのです。せっかく分離して流れてきた水が、ここで一緒くたになってしまうのです。
これは新杉田付近の台帳です。上の赤丸印内には聖天川と書かれています。下の赤丸印は杉田川です。この管路図をみても、やはり海に近づくと合流管から雨水管が分離していることが分かります。
図の左方向が京急杉田第2踏切で、右上の方が16号線です。このラインが合流管。
途中から斜めに分かれているところが、聖天川の暗渠部分です。ここで越流させているみたいなので、もう少し拡大してみます。
やはり、あの分岐地点には「雨水吐室」、「雨天時越流」の文字が見えます。大雨が降ると、ここから汚水混じりの雨水が暗渠に流れ込み、杉田の海へ放流されているわけですね。
というわけで、磯子の暗渠を調べていたら、ここまでたどり着きました。専門家に聞くと、これを分流式に切り替えていくのには、莫大な費用がかかるとのことです。
こちらは都筑区の下水道台帳。ご覧のようにどこまでも分流式が続きます。新しい町はこうなんですね。
お時間に余裕がある方は、だいちゃんマップでいろいろ眺めてみたらいかがでしょうか。
by うめちゃん
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます