大正12年9月1日に発生した関東大震災で横浜市役所は内部が全焼。そのため桜木町駅前に残っていた中央職業紹介所が仮市役所として利用された。その時の画像が冒頭の写真である。
9月2日。着るもの、食べ物もなく、濁った水さえ手に入らない。さらに、朝鮮人が襲来し、掠奪、婦女を襲うなどの流言飛語が流れた。
9月3日。人心が次第に悪化、無警察状態に陥り、人々は武装自警に至る。
9月4日。憲兵隊が谷戸橋から上陸。仮市役所に入り、その事務所が3階に置かれた。任務は①市民の武器撤廃 ②死体の片づけ ③交通修復
仮市役所では炊き出しを行うが、1食を10人で分ける状態。米蔵が罹災せず残ったし、汽船パリー丸にも米が積んであったのだが、これを配給するための人夫や沖仲士がいなかった。
そこで市役所職員や市会議員が新山下、高島町、八幡橋に陸揚げする。(以上『横浜復興誌』より)
滝頭にあった横浜刑務所の受刑者がその運搬の任務にあたった。 (『囚人服のメロスたち』より)
第62回いそご文化資源発掘隊
横浜芸者が伝える 関東大震災から100年の物語
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【参考】市庁舎の変遷
by うめちゃん
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