昭和21年、旧杉田劇場で初舞台を踏んだ加藤和枝ちゃん(のちの美空ひばり)。ここが初舞台であることは、旧杉田劇場の社員が残していたポスターや、当時の新聞広告からその事実は確認できている。
一方、旧杉田劇場に出演したあと、和枝ちゃんは芦名橋のアテネ劇場で公演を行ったということが、さまざまな本や雑誌の中で見かけるのだが、これに関しては新聞記事が残っていないため、誰が何に基づいて書いているのかは不明だ。
さて、そのアテネ劇場であるが、戦後、横浜市が発行していた広報誌『月刊よこはま』(昭和25年)によると、市場を改造してアテネ劇場をつくった、と書いてある。その市場とは……
「横浜市設小売市場総覧」(昭和16年)に日用品小売市場の一覧表が載っている。磯子区字濱1686に新地日用品小売市場だ。昭和4年に葛城駒蔵という人が設立している。
昭和21年8月22日の神奈川新聞にこんな広告が出た。雅典劇場と書いてアテネセアタと読ませている。「雅典」はアテネの漢字表記。これが市場を改造した劇場なのだ。映画劇場としてオープンするという。
9月9日(月)に開場式を行い、中村吉右衛門が挨拶をしている。
翌10日(火)が実質の開場で、東宝映画「麗人」を上映している。
その後は順調に映画上映が続いていたが、昭和26年7月17日にこんな広告が出た。
改装のために休館するというのだ。工事期間がどのくらいだったのかは、記事や広告が出ていないので不明であるが、その後、広告が復活したので再スタートしたのだろう。
いつまでアテネ劇場があったのかは、磯子区明細地図で調べる必要がある。
これは昭和40年の磯子区明細地図である。劇場の隣には経営者の長谷さんの自宅があった。
この地図は昭和40年に発行されているので内容はおそらく昭和38年か39年の情報だろう。横浜市の図書館には毎年の地図が保存されていないからなのか、あるいは地図会社が毎年発行していなかったからなのか、隔年でしか調べられない。しかし、その隙間を補完する資料があった。
昭和39年の「住居表示旧新対照表である。これによると劇場の名称が「磯子映画劇場」になっている。しかも住み込みの人がいたことも分かった。
昭和42年の地図。劇場名が変わると同時に、長谷さんがいなくなっている。おそらく経営が変わったのであろう。
昭和46年。劇場は空き家になっている。
磯子区役所発行の『浜・海・道』に載っている磯子映画劇場(元アテネ劇場)の廃屋。
現在、跡地には大きなマンションが建っている。
by うめちゃん
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