
これは昭和23年7月11日、神奈川新聞の映画・劇場広告に載った旧「杉田劇場」の広告。
「四谷怪談」という演目と共に書かれたお岩さんの絵が目をひく。
その部分を拡大してみると……

お岩さんの背後に見えるのは、どうやら柳のようだ。下に描かれた同心円は川面かな。
四谷怪談を公演したのは“好評の雀之助一座”と書かれている。市川雀之助という人が座長の劇団らしい。
どんな劇団だったのだろうか。当時は有名だったらしいので、インターネットで調べてみた。
しかし、戦後間もなくの雀之助に関する情報はなかなか得られない。そんななか、国立国会図書館に1件あるのを発見した。
まだデジタル化されていないので、自宅のパソコンで閲覧することはできないが、目次だけは公開されいる。
『週刊娯楽よみうり 1958年12月』
目次:裏町カブキ大一座 師走の冷たい風に公演のノボリがはためく、ここ東京の下町深川の一角に市川雀之助の新演舞座のひとこま / 鈴木金次郎
昭和33年の週刊誌だから、市川雀之助一座が杉田劇場に出演した10年後のことである。一座は裏町歌舞伎と呼ばれていたことがわかる。今でいう大衆演劇みたいなものであろうか。
さらにネット検索を進めていくと、こんなものがヒットした。
『週刊現代 12月11日号』
ネットオークションに出品された昭和35年(1960)発行の週刊誌である。その本文は簡単に読めないよう工夫されているのだが、なんとか読みこなしてみた。そこで分かったことは……
特集のタイトルは「東京の旅役者 市川雀之助一座」。出し物は歌舞伎をアレンジしたものが多く、記事は創立25周年を迎え記念公演中であることを伝えたあと、この劇団のことを写真入りで解説している。
座員は29人と少ないので、演技の合間には大道具、小道具、囃子方に早変わりするという。こう書くと何やらうらぶれた雰囲気を連想しがちだが、この一座は芝居もしっかりしていて、座長が大見得をきると、客席から「雀サマ!」、「小紅さま!」と声がかかり、タバコやおひねりが投げられるという話を紹介している。
“市川雀之助”をキーワードにネット検索して出てきた昔の情報はこれしかない。
ところが、驚いたことに現代の大衆演劇情報のなかで、雀之助と小紅という人が多数ヒットするのである。しかも、市川雀之助と小紅がセットなので、この人たちは昔の一座と無関係ではないような気がする。
あれから70年近く経っているので、まさかご本人ということはあるまい。後継者なのか……。
ところで、杉田劇場に来られるご利用者様やお客様のなかには、旧杉田劇場でいろいろ演劇を観たよ、という方が結構いらっしゃる。
先日、ギャラリーを借りて絵画展をなさっていたグループの中に、旧杉田劇場の内部構造をしっかりと覚えている方がおられた。
雀之助や門三郎の話がバンバン出てくるのだが、その中に「四谷怪談」を観たという話があったので、今日はその時の広告を記事にしてみた。
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