杉田劇場から

2005年2月5日にオープンした磯子区民文化センター杉田劇場のスタッフが綴るブログ。公演案内の他に美味しい情報も♪

13日間連続で公演した市川門三郎一座@旧杉田劇場

2023-01-27 | 旧杉田劇場

 これは昭和22年11月4日の神奈川新聞に載った旧杉田劇場の広告。

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 杉田劇場で市川門三郎一座が公演するという予告が出ている。5日から10日までの演目は、「鞘当」「鵜の目鷹の目」「お染久松 野崎村」。「鞘当」と「お染久松 野崎村」は歌舞伎で、「鵜の目鷹の目」は現代劇だったようである。

 11日から17日までは「寿門松」「毛谷村六助」「将棋狂時代」が演じられていたが、「寿門松」と「毛谷村六助」は歌舞伎で、「将棋狂時代」は現代劇だったみたいだ。

 13日間で1回しか演目が変わらないということは、一人のお客が2日しか来場しないということである。いや、もしかしたら熱烈なファンがいて、同じ演目を2回、3回と観ていたかもしれないが、まぁ普通の観客だったらそんなことはなかったのではないか。しかも、映画を上映する劇場が多くなってきているのに、旧杉田劇場ではずっと歌舞伎にこだわり続けているのである。

 この時代に旧杉田劇場ではなぜ歌舞伎だったのか。劇場を運営していた高田菊弥が歌舞伎・剣劇好きだったのか。深川にいたころは浅草に通って松竹座によく出入りし、役者の後援会長をしていたなんて話もある。

 それとも演出家の鈴村義二の好みだったのか。

 この人が鈴村義二である。着物に刀という姿。これは単なるコスプレではなく、居合抜きをやっていたというから、もしかしたら鈴村義二の意向で演目が決められていたのかもしれない。

 旧杉田劇場で働いていた片山茂さんの記憶によれば、鈴村義二(1898~1969)は昭和21年当時、台東区の区会議員で浅草の芸能界では有名人だったという。その鈴村の経歴が面白い。

 ブログ「大高ヨシヲを探せ!」を運営されている井上学さんからの情報(『自治業界発達誌』による)であるが、明治31年12月1日に生まれた鈴村は京華商業を卒業して大正8年頃、神田須田町で兎料理店を開業している。21歳くらいだったのかな。これは帝都における兎料理店の元祖だったらしい。

 その後、東京市内5,6か所で公設市場を経営し、その儲けを社会運動に提供。そして東京市社会局公営課外事主任となったあと、東京毎日新聞社に入社し、理事(政治部長)になっている(昭和3年当時)。

 そんな男が浅草の芸能界では有名人だったという。戦前の経歴とは随分と路線が違うようだが。よく分からない人だ。

 さて、冒頭の広告に戻ろう。左側には「銀星座」の広告が出ている。《ハマのお芝居の封切 秋の自由劇団へ》という見出しの下には演目が書かれている。

 高橋お傳 全通し

 時代劇 冬木心中 四幕

 爆笑劇 朗らか一家 二景

 珍優 ●山ぢゃがいも 参加熱演(●は判読不明)

 「●山ぢゃがいも」というのは、大高ヨシヲ一座(暁第一劇団)と一緒によく出演していた「ぢゃがいもコンビ」なのだろうか。

 広告の右端には団員の名前の他に、応援出演者として大映スター 小林重四郎と名花 月澄江が載っているが、誰だろうか、この二人は。

 調べてみたら、小林重四郎はこんな人だ。ずいぶんテレビに出ていたようだ。

 月澄江はこんな人。小林重四郎の配偶者だったのか。

 by うめちゃん



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2 コメント

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Unknown (はなみちゃん)
2023-01-28 23:19:53
突然のコメント失礼します。2020年にあげていた初浜はまだやっていますでしょうか?情報がわかれば教えていただきたいです。昔祖母と叔父が過ぎたにすんでいて初浜(まだその当時は飲み屋さんでした)によくご飯を食べに行っていたものです。竹さんのおいなりさん。わすれられません。
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コメントありがとう (杉田劇場うめちゃん)
2023-01-29 09:04:24
はなみちゃん様
コメント、ありがとうございます。
「初浜」は残念ながら閉店しました。
お稲荷さんを買うと、いろいろオマケで副菜をつけてくれたりして、いいお店でした。
竹ちゃんは時々、商店街を歩いていますよ。
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