スミサキ日記

20年くらい前は後期高齢山ガールやってた

(母方の祖父は私が生まれる前、母が学生の頃?に病没、以来寡婦。一家の大黒柱、昔は工場切り盛りしてて、溶接もできる。知っているのはそれくらい。)

母方の祖母が亡くなり、私の祖父母は全滅したことに。同居(だった)家族だけでの家族葬とのことで、やんわりお断りされたので、特に何もないし、特に何も思うことがないが…薄情かなぁ、しかし疎遠過ぎてなぁ。

母方の親族が多すぎるんだよ。従兄弟だけで10人超えるので、子供の頃はそれでも複数家族で夏と冬は集まってたけど、中学生になる頃には「パス」って言って行かなくなった。車で何時間かけて出かけて行っても、大勢の中の1人だし、他の親戚が来たときはホスト側で勝手も分からない家でお客様扱いされない。まあそのくらい血縁なんだから許してやれよって人も多いと思うというかそれが普通なのかなぁ、でも私は同居家族ですら無礼なやつは許しがたいって思う人間だからな…人の領域に土足で上がり込んでくるタイプは苦手だ、別に同居家族にも、母方の祖母にも、そこまで困らされたことはないけど。サシで話した記憶がなくて、人となりもあまり知らない人に親しみが持てないだけというか。

上の妹と、母と、母方の祖母は名前がシリーズなんだよね、それもあって、「私のおばあちゃんでもあるが、どちらかというと上の妹のおばあちゃん」って感じが強いのもある。そういやその妹は、大人になっても結婚式(海外だった)の写真渡しに行ったり、子供(祖母にとってはひ孫だね!)見せにいったりしてたな。私なんて最後に会ったのいつだっけ…義理の叔父の葬式のとき?多分10年くらい前?

……私も、初めて身近な人が亡くなったとき、同居してた父方の祖父だけど、当時中学2年で、相当ショックで葬儀のあともしばらくふとしたときに泣き出したり色々あったけど。高校大学社会人とうまく人と付き合えなくてどんどん精神病んでいって未遂があって、33か35くらいで立ち直ってくるまでに、対人関係に関するスタンスというか考え方、感じ方がすっかり変わってしまった。特に人生とか死ぬことに関して、世間はこうとか、そう考えるのが「正しい」んだろうなというのは何となく分かるんだけど、自分はそうじゃない、そう思わないということが増えてしまった、直そうとも思わない。
……だって、世間的な「正しさ」は、何も私を救わなかった。みんなの無言の期待に応えても、べき論に従っても、私自身が納得や幸せを感じないならば、やる意味はあるのか?痛くて辛くて苦しいことを、誰が困るでもないのにわざわざやらなくていいじゃん、と思う。

血縁が亡くなったら、悲しむべきなのかもしれない。でも知人より遠い人を、血が繋がっているという事実を知っているけれど親しみを感じない人を、悲しくもないのに悲しむべきだから悲しもうとするのも、何だか誠実じゃない気がする。もう二度と会えないけれど、この世界ってそういうもんだしなぁ。

(世間と死生観がずれすぎているんだよね…直そうとも思わないんだけど。ときどき、もし両親の時にもこんなにドライだったらどうしようと思わないでもないが。)
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