突然ですが、先月、5月28日(月)の早朝5時に母が自宅で息を引き取りました。
母は最後の一呼吸まで生きようとしていました。
生きたかったのです。
余命数ヶ月~半年と告知を受けてから、2年2ヶ月、本当によく頑張っていたと思います。
手術でがんを取り除くことも出来ないといわれ、この時がいつ来るのかと想像も付かないほどの不安と戦い続け、苦しかったと思います。
死後、母の書いていた一言日記を読みました。
ほとんど毎日、不安や体調の変化、痛み…ごくたまに、うれしかった事。
2年間ずっと母の病院に付き添い、病気を一緒に考え、治療を探し、散歩したり、プラス方向の話をしてきました。
だけど母が5月7日に退院し自宅療養になって、私が看護に合流した16日には、母と会話することが出来ないまで様態は悪くなっていました。
こんな時期にお店の移転や一番忙しい母の日が重なり、私は、母に伝えたかった感謝の気持ちやいろんな事、何も話せなかった。
息を引き取る間際、兄弟みんな、母に一言づつ言いたかった言葉を叫びました。
ピクリとも体を動かせなかった母は、私の声の方向にわずかに顔を動かしてくれました。
きっと、聞こえていたんだと、伝わったんだと、思います。
だけど、話すことが出来なくなってしまった母の、言いたかったことは聞いてあげられなかった。
私は母を助けてあげられなかった。
今はまだ、それしか考えられないです。
今まで応援してくれたたくさんの人達、本当にありがとうございました。
母は皆さんのコメント、楽しみにしていました。
少ない母の楽しかったことのひとつでした。
心の底から感謝しています。
「ありがとう。」
このブログ、この後も続くかもしれません。
また、更新されてたら、読んでみてね。
母は最後の一呼吸まで生きようとしていました。
生きたかったのです。
余命数ヶ月~半年と告知を受けてから、2年2ヶ月、本当によく頑張っていたと思います。
手術でがんを取り除くことも出来ないといわれ、この時がいつ来るのかと想像も付かないほどの不安と戦い続け、苦しかったと思います。
死後、母の書いていた一言日記を読みました。
ほとんど毎日、不安や体調の変化、痛み…ごくたまに、うれしかった事。
2年間ずっと母の病院に付き添い、病気を一緒に考え、治療を探し、散歩したり、プラス方向の話をしてきました。
だけど母が5月7日に退院し自宅療養になって、私が看護に合流した16日には、母と会話することが出来ないまで様態は悪くなっていました。
こんな時期にお店の移転や一番忙しい母の日が重なり、私は、母に伝えたかった感謝の気持ちやいろんな事、何も話せなかった。
息を引き取る間際、兄弟みんな、母に一言づつ言いたかった言葉を叫びました。
ピクリとも体を動かせなかった母は、私の声の方向にわずかに顔を動かしてくれました。
きっと、聞こえていたんだと、伝わったんだと、思います。
だけど、話すことが出来なくなってしまった母の、言いたかったことは聞いてあげられなかった。
私は母を助けてあげられなかった。
今はまだ、それしか考えられないです。
今まで応援してくれたたくさんの人達、本当にありがとうございました。
母は皆さんのコメント、楽しみにしていました。
少ない母の楽しかったことのひとつでした。
心の底から感謝しています。
「ありがとう。」
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また、更新されてたら、読んでみてね。