1、死を受け入れ生まれ変われる再生の道
2、霊となり現世を彷徨う
3、現世の人を一人呪い殺す事ができるが、地獄へいく
昔やっていた釈由美子主演ドラマ、『スカイ・ハイ』の内容の基盤となる3択。
(現世で人を殺した人、自殺はそのまま地獄行き。
殺された人、または不慮の事故でなくなった人が、恨みの門番イズコのいるところに来てドラマが始まる、という内容)
あくまでもドラマであり、現実は本当のところ、死んだ後の世界がどうしても誰にもわからない。
だからいろんな説があり、いろんな想像が膨らむ。
このドラマの2、の選択、現世を彷徨うを選択した回がいくつかある。
それを見て、人を呪い殺すよりも考え込んだ。
現世を彷徨う事を選ぶ人について(ドラマにおいて)、また
もし本当に現実に起こり得るとしたらドラマのように選択の意思は関係なく現世を彷徨う事になる人の共通点があるんだろうと思った。
それは
現世で
空気のような存在、扱われ方をした人。
現世で
愛してほしい人に愛されなかったことで、ずっと満たされない気持ちからこの世に執着する人。
あくまでもドラマであり、現実は本当のところ、死んだ後の世界がどうしても誰にもわからない。
だからいろんな説があり、いろんな想像が膨らむ。
このドラマの2、の選択、現世を彷徨うを選択した回がいくつかある。
それを見て、人を呪い殺すよりも考え込んだ。
現世を彷徨う事を選ぶ人について(ドラマにおいて)、また
もし本当に現実に起こり得るとしたらドラマのように選択の意思は関係なく現世を彷徨う事になる人の共通点があるんだろうと思った。
それは
現世で
空気のような存在、扱われ方をした人。
現世で
愛してほしい人に愛されなかったことで、ずっと満たされない気持ちからこの世に執着する人。
(あくまでも私が勝手に思い悩んで分析しただけなので全然違う可能性があります)
これらは、
ただ彷徨う選択に恐怖がない。
なぜなら現世でそれに等しいものを経験しているから。
普通は、現世で経験したらもう嫌になる。早く生まれ変わってやり直したいと思うならまだマシ。
でも二度とこんなの嫌だという感情すらわかないくらい、病んでいたということになるかもしれない。
生きているのに、空気みたいな存在でいること、扱われることは、なんだかんだ1番病んでいるのかもしれない。
現世と同じ、死んでもこの世をただ彷徨っていたい。
=現世とあの世の区別がつかない、つかなくてもいいという感情。
スッキリした感情があれば、もちろん生まれ変わりを再生を望む。
現世に思い残す事がたくさんあっても誰かに愛された、何かと存在感を発揮した確かな気持ちがあれば、あとは死を受け入れることをやればいいだけ。
理不尽な思い、強い憎しみがあれば、地獄行き覚悟で人を呪う。
その両方にも当てはまらない人の種類は確かに存在するかもしれないと思った。
成仏もせず、
地獄行きもせず、
なんだかわからないけれど
この世を彷徨う もの はあるかもしれない。
あああああーー、、、
自分が
死んで
彷徨う人になったらどうしよう。
いま現世での気持ちは、
生まれ変わりたいモノがある。
いまも一緒、死んでも一緒、生まれ変わっても一緒になってなりたいモノがある。
でもその希望を叶えてもらえるかわからない。
深層心理で
現世への執着→空気のようにたまに忘れられる部分もある自分、
あまり目立たないよう息を潜めて生きている部分もある自分、
母親に無償で愛されたかった、という満たされない気持ちが、
死んだ時に私を現世に拘らせて彷徨う人にされてしまうかもしれない。
成仏でき再生するか
彷徨うか
地獄行きか
生きるのは魂のための厳しい厳しい修行???
死んだ時に私を現世に拘らせて彷徨う人にされてしまうかもしれない。
成仏でき再生するか
彷徨うか
地獄行きか
生きるのは魂のための厳しい厳しい修行???
ま、現世での肩書きや権力や地位は
魂には全く関係ないよ、わかってると思うけど
(イラストは本文の内容とは関係ありません、ただの落書きです)