近年考古学が他の分野の科学技術と結びつくことによって今まで謎とされてきた歴史的ミステリーが次々解明されています。
で、私たちはそれを、これまた大きく発展を遂げてきた情報媒体で知るわけなのですが、さて、では世界からミステリーはなくなってしまったのでしょうか?
…と、書くとこれから正にスピリチュアル信奉論的な文章が展開されると思いきやさにあらず。
意外に人間ってその恵まれた情報に胡坐をかいて「知る」という行動が疎かになっているのね~…などと気づいた次第。
例えば自分。エリコの加工頭骨(…と仮に呼んでますが正式には何て呼ばれているのかよく分かりません?)なんて知らなかったよ…とか、思ってたら十年前に収録した自分のライブラリーにしっかり記録してありやがんの。
きっと記録したことに満足しちゃってその内容そのものを見てなかったのでしょう。
こういう間抜けって、多分自分だけではないと思うわけです。大なり小なり、大半の人間がそうした本来得ているはずの知識の取りこぼしをしてしまっているのではないかと。
案外世界のミステリーは人間の意識の遠く及ばぬスピリチュアルな部分にあるわけではなくて、むしろ自分に近い部分…脳内の「無知の領域」に残されているのでは…?なーんて、考えてしまったりするわけです。
まぁこうした話は大事業から日常些細な事にも例えられるものです。
…遺跡探検に出かける前にはまず歴史書を読め、模型を作る前にはまず組み立て説明書を読め!ですね…。
なんかね…自分の無知や記憶違いを疑わずに俺様自慢する人間ちと多過ぎ、って思っちゃったわけさぁ。
そんでもって「人の振り見て何とやら…」、ついでに自分の無知っぷりに気づいて愕然としてみたり…ね。
「謙虚」さを疎かにし過ぎです、最近の「本音(ぶっちゃけ)社会」。
で、私たちはそれを、これまた大きく発展を遂げてきた情報媒体で知るわけなのですが、さて、では世界からミステリーはなくなってしまったのでしょうか?
…と、書くとこれから正にスピリチュアル信奉論的な文章が展開されると思いきやさにあらず。
意外に人間ってその恵まれた情報に胡坐をかいて「知る」という行動が疎かになっているのね~…などと気づいた次第。
例えば自分。エリコの加工頭骨(…と仮に呼んでますが正式には何て呼ばれているのかよく分かりません?)なんて知らなかったよ…とか、思ってたら十年前に収録した自分のライブラリーにしっかり記録してありやがんの。
きっと記録したことに満足しちゃってその内容そのものを見てなかったのでしょう。
こういう間抜けって、多分自分だけではないと思うわけです。大なり小なり、大半の人間がそうした本来得ているはずの知識の取りこぼしをしてしまっているのではないかと。
案外世界のミステリーは人間の意識の遠く及ばぬスピリチュアルな部分にあるわけではなくて、むしろ自分に近い部分…脳内の「無知の領域」に残されているのでは…?なーんて、考えてしまったりするわけです。
まぁこうした話は大事業から日常些細な事にも例えられるものです。
…遺跡探検に出かける前にはまず歴史書を読め、模型を作る前にはまず組み立て説明書を読め!ですね…。
なんかね…自分の無知や記憶違いを疑わずに俺様自慢する人間ちと多過ぎ、って思っちゃったわけさぁ。
そんでもって「人の振り見て何とやら…」、ついでに自分の無知っぷりに気づいて愕然としてみたり…ね。
「謙虚」さを疎かにし過ぎです、最近の「本音(ぶっちゃけ)社会」。