「大至急戦闘経験値の高いアーリーを数体寄こして…!」
いつに無く焦燥感に駆られた面持ちでマナが店内に飛び込んできたのは、ショウイチがグラスを一通り並び終えたすぐその後だった。
バーの開店時間までにはまだ間があるのでこの時間に当然客の姿は無い。最近ショウイチは一日一品、レシピを増やすためにこの時間を割くことにしていた。
「あれ?珍しいね『先輩』、そんなに慌ててさ?」
軽薄そうだがどこか人懐っこい笑顔でショウイチがマナにコップ一杯の水を差し出す。『先輩』と呼ばれた彼女はそれを一息に飲み干すと、やや落ち着きを取り戻したかスツールに腰を掛け大きく息をつく。
「やめてくれます?その呼び方」
ややうんざりした調子でマナはカウンターにコップを戻す。からからと笑いながらショウイチは水のおかわりを差し出した。
実際のところマナは来年高校を卒業する程の歳に過ぎず、ショウイチよりも五年は若い。
背も同年代と比べて決して高くは無い方であるから、バスケ歴を持ち上背のあるショウイチと並べば頭一つ半は軽く違う。傍目から見れば彼がこの少女を先輩呼ばわりするのは些か違和感があるだろう。
もちろん、彼女がそう呼ばれるのにはそれなりの理由が存在する。それは…
「…何だ、『先輩』か…。今日は別に情報を頼んだ憶えは無いが…?」
「もう…、リュウスケさんまで!」
奥の控え室から、これもショウイチに負けず劣らぬ長身の、だがこちらはきっちりした身なりで、どことなく冷たい印象を感じる青年が姿を現す。
彼の肩には白と青に塗り分けられた掌ほどの小さな人形が乗っており…それはムクリと上体を起こすとひらりとカウンターの上に降り立った。
「脈拍数が高く、体温が上昇している…」
人形…否、小型のヒューマノイドと思しきそれはマナの表情を見上げると、計測機械のようにそのコンディションを分析し始めた。
「だが恐慌状態からは脱している。即時の状況説明を要求したいところだな…」
「スリート…相変わらずあなたは…、人に物を尋ねるには言い方ってものがあるでしょう?」
あきれたような声が天井から降ってくる。マナが目を移すといつの間にかショウイチの頭の上に赤色系ボディーカラーの、女性の小型ヒューマノイドが降り立っていた。
「こらっ、コロナ!人の頭の上に乗るな!髪型が崩れるぅ!!」
「そんな鳥の巣のようなヘアスタイル、ちょっとくらい崩れたって変わりはしないわよ…」
どこかおどけたそぶりのコロナと呼ばれた女性のヒューマノイドは、空気を裂く音がそう聞こえるのだろうか?一瞬まるでハンドベルのような音を立ててショウイチの頭からカウンターに身を移した。
ショウイチは、その彼女が跳ねた勢いで余計に崩れた毛先をいちいち摘んで整えたりしている。
それがごく日常的なやり取りであるかのように、その場にいる三人ともが特にこの二体の小型ヒューマノイドに驚く様子はまるで無い。
それは三人ともよく知っているからである…彼らが『ミゼット』と呼ばれる存在であることを…。
身に着けた服の色合いに象徴されているような、正反対の性格を持つこの二人の傍らに居るのは『ベータミゼット』と呼ばれる存在。
ショウイチと戯れている女性のそれは「火」の属性を持つサラマンダーのフィメール(女性)ベータミゼットで名を『コロナ』という。
かたやリュウスケに付き従うように控えた男性と思しき青いベータミゼットは、「水」を象徴とするウンディーネと呼ばれるベータミゼットで、先にコロナが呼んだ『スリート』というのがその名前らしい。
実はこの場にはいないがマナにも彼女のベータミゼットと呼べる者がいる…と、言っても正確には「ベータミゼット」ではなくそれらの元の姿である存在だが…。
かいつまんで説明するとある特定の物品の中には『アストラル』という物質が含まれており、それが人の強い「思念」を受けることで実体化する…という。これが『ミゼット』と呼ばれる妖精…あるいは物品霊(付喪神)であるのだが、ベータミゼットは「ある事情」からこれを人形を寄代にして再現したものであるのだ。
そのため便宜的に前者は『妖精型ミゼット』、または『フェアリー』と、その存在を知る者からは呼ばれている。
マナのミゼットは、つまりこの前者…妖精型ミゼットであるのだ。
このミゼットと小学生の頃から既に出逢い、行動を共にしてきたマナは、僅か二年前に互いのパートナーと出逢ったショウイチ、リュウスケにとってはある意味「先輩」と言える。
実際、ミゼットと行動を共にすると(本人が望む、望まないにかかわらず)普通の生活とはかけ離れたメリットやデメリットを得るものであるらしく、最初の頃はこの小娘風情から色々と情報提供や教え、そして数多くの助力を受けていたのは紛れも無い事実である。
時にはそのおかげで危うく命を落としかねない危機を脱したこともあったものだから、そのため現在においても彼女には一目置かざるを得ないのはいたし方の無い事であるわけだ。
…とは言え、そんな一段低い立場の二人が彼女のことを『先輩』と、しかもややからかうようなニュアンスで呼ぶのにはもっと別の理由があった。
聞くところによるとここ数年マナにはえらく肩入れしている「一般人」の後輩がいるらしく、更に本人がそれを口にすることこそ無いが、彼女がその後輩を悪からず想っているのを容易に察する事ができるのである。
その事を茶化す意味もあってか、はたまたささやかな逆襲か、いつしか二人は意図的に彼女のことを『先輩』と呼ぶようになったのである。
普段は澄ました態度で大人二人をあしらうこの高校生が、ことその後輩の事となると途端に冷静さを失うものだから、(少なくともショウイチは)そこに彼女の「人間らしさ」を感じ取れて実に微笑ましく思っていた。
だから、今日これほど慌てて二人の前に現れた『先輩』に何が起きたのかは容易に想像できた…彼女の本当の「後輩」の身に、のっぴきならない何か事件が起こったのだ。
…しかも、おそらくは、ミゼットが絡んでいるであろう厄介な事件…その事情を知る者から『妖精物件』と呼ばれる事件に…!
◆
カウンターに突っ伏したまま、なかなか帰ろうとしない常連客をようやく追い出し、ショウイチが閉店準備にかかった時には既に午前五時を回っていた。
普段人の絶えない通りもこの時間はゴーストタウンのようで、どこかから聞こえてくるカラスの声だけがやけに響いていた。
「安請け合いしちゃって…」
「…ぁん?」
「私は、反対だからね」
「何で?」
ショウイチは洗い物を片付けながら、退屈そうにリザーブボトルの林をウロウロとしているコロナに目線だけを送ってよこす。
コロナが何を言わんとしているのかはわざわざ問いただすまでも無く理解していた。昼間の件、だ。
「だって今私達の預かっているアーリーはSWORD所属よ、知らぬ関係じゃないとは言え、組織と無関係な人のためにこっちの判断で勝手に出しちゃって良いものなの?」
「んな事言ったって…、なぁ?」
ふぁ~…と欠伸をついて、ショウイチはカウンターの端に目線を移す、レジにはさっきまでそこに居たはずのリュウスケの姿は無く、スリートだけがレシートと格闘していた。
本当はリュウスケに向けて相槌を促したわけだが、結果的にスリートが答えなければならないシチュエーションになってしまった。
「そうだな、当の組織は音信不通となって久しく、故にアーリータイプは借用したままに現状に至っている。残念ながらいちいち伺いを立てている暇は無いと判断する…」
律儀にもスリートは恐ろしいほどのスピードでキーボードを叩きながらショウイチに応じ…ている間に今日一日分の帳簿を打ち上げてしまっていた。
ひとえにミゼットのパートナーと言ってもその置かれる立場と事情は様々だ。
ショウイチとリュウスケ、そしてそのミゼットたちは彼らをサポートする組織に所属しており、一方のマナはそうした組織とは無関係な在野の「妖精使い」である。基本的には双方が互いに保障しあう責務は無い。
マナがショウイチたちと交流を持ち、時に彼らの活動に利益をもたらす情報を提供しているのは単にマナの個人的な都合に過ぎず、決してそれが組織に貢献する目的でも、それによって何らかの報酬を得ようとする契約でもないことは双方が承諾していることである。
一度だけ、マナを組織にスカウトしては?という話もあったのだが、「群れるのはイヤ!」の一言で一蹴されたこともあり、以来こういうスタンスでの付き合いとなっていた。
「…でもな、コロナ」
ショットグラスをひっくり返しに布巾に並べると、ショウイチはボトル棚に手を伸ばしてコロナを拾う。
「普段は我関せずの彼女がこっちに頼み込んでくるってのは、そりゃよっぽど切羽詰った事態なんだろ?」
「それは…分かるけど」
いや、コロナも別にマナが嫌いなわけではない。ただ心配なのだ、自分が身を寄せるこの男は存外情にもろく、困っている人を見過ごすことができない。
だがそれが彼の利益になったことなど、コロナはついぞ見たことが無いのだ。
幸いなことに、彼には幼い頃からリュウスケという最良にして冷静なストッパーがついていたため、小さいトラブルこそ日常茶飯事であったものの、大きな災いに巻き込まれる事は無かった。
だが自分と出逢ってから、彼はより積極性をもって他者のトラブルに関わってゆくようになる。
それはミゼットを得たことにより自分のキャパシティーが広がり、より深刻なトラブルにも対処できるようになった事に起因しているのかもしれない。
あるいは、これまでストッパー役を負っていたリュウスケに加え、それに輪をかけた様な冷静な性格のスリート、そして感情論で彼を諌める自分の存在に対し、その反動が大きくなったためなのかもしれない。
それがショウイチのバランスが崩れてしまったためか、それともこれが彼の心の「本質」だったのかは、自分には判断が下せない。
ただコロナは危惧していた…それがいつか彼にとって取り返しのつかない不幸につながってしまうのではないか…と。
…彼がそれでも他人を見捨てない人間であることを十分理解しているからこそ、余計に…。
「それにさ…」
ふっと声のトーンを落としたショウイチの、呟きにも似た声に思案に暮れていたコロナの知覚が機能を回復させる。
「聞いたことがあるんだ。その『後輩』クンのこと…。どういういきさつかは知らないけど、何でも屋みたいなことをしていて…自分の住んでる町の人間のトラブルを解決して始終奔走しているんだってさ。…それって何だか他人とは思えなくてな…」
…あぁ、これは最悪のパターンだ…、コロナは観念した。完全に我がパートナーは見たことも無いその『後輩』に感情移入しちゃっている…。
こうなると、彼が次に口にする台詞は決まっている。
「放っておけないだろ…?」
コロナは助勢を求めるようにスリートの方を見る…が、彼は冷めた視線を返すだけで何も言わない。「う~っ…」いかんともし難いもどかしさにコロナは身をよじる。
「人と共にある」べきミゼットとしては、100%の信頼と従順を捧げたいところだが、そうではない妙な生の人間的な感覚がそれに待ったをかけているのだ。
「…だからって…」
「分かっているさ、心配してくれてんだろ?」
そんなコロナのジレンマを見透かしたように、ショウイチは親指でぐりぐりとコロナの頭を転がす。
「…でもさ…そんな気持ちを、たぶん『先輩』は『後輩』クンに対して抱いている。だとしたらお前、それを見捨てておけるか?」
「…あ…!」
ショットグラスに映る自分の必死な顔に、昼間の彼女の表情がダブって見えた。その気持ちは…、自分がショウイチに対する感情と何ら変わりはしない。
利はあらずとも理がそこにはある。もしもそれを否定してしまったらなら、自分の存在そのものをも根底から否定してしまいかねない。
その上パートナーが明確な意志をもって為すことならば、もはやミゼットにそれを拒むロジックはありはしなかった。
「…そ…ね」
覚悟を決めるほかは無い…それをスイッチにコロナの思考は「いかにして彼を止めるか」から「いかにして彼を守るか」に切り替わっていた。
「そーゆーこと。仮眠をとったら俺たちも現場に行くぞ!」
…リュウスケは、その一部始終を控え室の扉の裏で聞いていた。
「相変わらず、意見はしないのだな?」
「意見はするさ、常識の範囲内でね」
彼の足元にはいつの間にか室内に入り込んでいたスリートが立っている。
「『青』は無策に突っ走る『赤』に注意を促すだけでいい。昔からそれが俺たちの居心地の良いスタンスだったんだ…」
照明もつけない夜明けの薄明かりの中、リュウスケがほんの少しだけ、笑った様に見えた。
「ショウイチはマナの件に関わると決めているが、君はどうする?…私は、君の決定に従うが」
「ならもう決まっているよ、スリート…」
一瞬、リュウスケの脳裏に遠い日の記憶が蘇る…野山に見立てた団地…五人で駆け回った日々…それも今は二人だけになってしまった…。
「行動を決定するのは、『赤』の役目だ…」
この時まだコロナは知らなかった…それが彼女のチームメイトと、そしてパートナーを失う壮烈な事件の幕開けとなろうとは…。
・・・「自販機の妖精」・了
いつに無く焦燥感に駆られた面持ちでマナが店内に飛び込んできたのは、ショウイチがグラスを一通り並び終えたすぐその後だった。
バーの開店時間までにはまだ間があるのでこの時間に当然客の姿は無い。最近ショウイチは一日一品、レシピを増やすためにこの時間を割くことにしていた。
「あれ?珍しいね『先輩』、そんなに慌ててさ?」
軽薄そうだがどこか人懐っこい笑顔でショウイチがマナにコップ一杯の水を差し出す。『先輩』と呼ばれた彼女はそれを一息に飲み干すと、やや落ち着きを取り戻したかスツールに腰を掛け大きく息をつく。
「やめてくれます?その呼び方」
ややうんざりした調子でマナはカウンターにコップを戻す。からからと笑いながらショウイチは水のおかわりを差し出した。
実際のところマナは来年高校を卒業する程の歳に過ぎず、ショウイチよりも五年は若い。
背も同年代と比べて決して高くは無い方であるから、バスケ歴を持ち上背のあるショウイチと並べば頭一つ半は軽く違う。傍目から見れば彼がこの少女を先輩呼ばわりするのは些か違和感があるだろう。
もちろん、彼女がそう呼ばれるのにはそれなりの理由が存在する。それは…
「…何だ、『先輩』か…。今日は別に情報を頼んだ憶えは無いが…?」
「もう…、リュウスケさんまで!」
奥の控え室から、これもショウイチに負けず劣らぬ長身の、だがこちらはきっちりした身なりで、どことなく冷たい印象を感じる青年が姿を現す。
彼の肩には白と青に塗り分けられた掌ほどの小さな人形が乗っており…それはムクリと上体を起こすとひらりとカウンターの上に降り立った。
「脈拍数が高く、体温が上昇している…」
人形…否、小型のヒューマノイドと思しきそれはマナの表情を見上げると、計測機械のようにそのコンディションを分析し始めた。
「だが恐慌状態からは脱している。即時の状況説明を要求したいところだな…」
「スリート…相変わらずあなたは…、人に物を尋ねるには言い方ってものがあるでしょう?」
あきれたような声が天井から降ってくる。マナが目を移すといつの間にかショウイチの頭の上に赤色系ボディーカラーの、女性の小型ヒューマノイドが降り立っていた。
「こらっ、コロナ!人の頭の上に乗るな!髪型が崩れるぅ!!」
「そんな鳥の巣のようなヘアスタイル、ちょっとくらい崩れたって変わりはしないわよ…」
どこかおどけたそぶりのコロナと呼ばれた女性のヒューマノイドは、空気を裂く音がそう聞こえるのだろうか?一瞬まるでハンドベルのような音を立ててショウイチの頭からカウンターに身を移した。
ショウイチは、その彼女が跳ねた勢いで余計に崩れた毛先をいちいち摘んで整えたりしている。
それがごく日常的なやり取りであるかのように、その場にいる三人ともが特にこの二体の小型ヒューマノイドに驚く様子はまるで無い。
それは三人ともよく知っているからである…彼らが『ミゼット』と呼ばれる存在であることを…。
身に着けた服の色合いに象徴されているような、正反対の性格を持つこの二人の傍らに居るのは『ベータミゼット』と呼ばれる存在。
ショウイチと戯れている女性のそれは「火」の属性を持つサラマンダーのフィメール(女性)ベータミゼットで名を『コロナ』という。
かたやリュウスケに付き従うように控えた男性と思しき青いベータミゼットは、「水」を象徴とするウンディーネと呼ばれるベータミゼットで、先にコロナが呼んだ『スリート』というのがその名前らしい。
実はこの場にはいないがマナにも彼女のベータミゼットと呼べる者がいる…と、言っても正確には「ベータミゼット」ではなくそれらの元の姿である存在だが…。
かいつまんで説明するとある特定の物品の中には『アストラル』という物質が含まれており、それが人の強い「思念」を受けることで実体化する…という。これが『ミゼット』と呼ばれる妖精…あるいは物品霊(付喪神)であるのだが、ベータミゼットは「ある事情」からこれを人形を寄代にして再現したものであるのだ。
そのため便宜的に前者は『妖精型ミゼット』、または『フェアリー』と、その存在を知る者からは呼ばれている。
マナのミゼットは、つまりこの前者…妖精型ミゼットであるのだ。
このミゼットと小学生の頃から既に出逢い、行動を共にしてきたマナは、僅か二年前に互いのパートナーと出逢ったショウイチ、リュウスケにとってはある意味「先輩」と言える。
実際、ミゼットと行動を共にすると(本人が望む、望まないにかかわらず)普通の生活とはかけ離れたメリットやデメリットを得るものであるらしく、最初の頃はこの小娘風情から色々と情報提供や教え、そして数多くの助力を受けていたのは紛れも無い事実である。
時にはそのおかげで危うく命を落としかねない危機を脱したこともあったものだから、そのため現在においても彼女には一目置かざるを得ないのはいたし方の無い事であるわけだ。
…とは言え、そんな一段低い立場の二人が彼女のことを『先輩』と、しかもややからかうようなニュアンスで呼ぶのにはもっと別の理由があった。
聞くところによるとここ数年マナにはえらく肩入れしている「一般人」の後輩がいるらしく、更に本人がそれを口にすることこそ無いが、彼女がその後輩を悪からず想っているのを容易に察する事ができるのである。
その事を茶化す意味もあってか、はたまたささやかな逆襲か、いつしか二人は意図的に彼女のことを『先輩』と呼ぶようになったのである。
普段は澄ました態度で大人二人をあしらうこの高校生が、ことその後輩の事となると途端に冷静さを失うものだから、(少なくともショウイチは)そこに彼女の「人間らしさ」を感じ取れて実に微笑ましく思っていた。
だから、今日これほど慌てて二人の前に現れた『先輩』に何が起きたのかは容易に想像できた…彼女の本当の「後輩」の身に、のっぴきならない何か事件が起こったのだ。
…しかも、おそらくは、ミゼットが絡んでいるであろう厄介な事件…その事情を知る者から『妖精物件』と呼ばれる事件に…!
◆
カウンターに突っ伏したまま、なかなか帰ろうとしない常連客をようやく追い出し、ショウイチが閉店準備にかかった時には既に午前五時を回っていた。
普段人の絶えない通りもこの時間はゴーストタウンのようで、どこかから聞こえてくるカラスの声だけがやけに響いていた。
「安請け合いしちゃって…」
「…ぁん?」
「私は、反対だからね」
「何で?」
ショウイチは洗い物を片付けながら、退屈そうにリザーブボトルの林をウロウロとしているコロナに目線だけを送ってよこす。
コロナが何を言わんとしているのかはわざわざ問いただすまでも無く理解していた。昼間の件、だ。
「だって今私達の預かっているアーリーはSWORD所属よ、知らぬ関係じゃないとは言え、組織と無関係な人のためにこっちの判断で勝手に出しちゃって良いものなの?」
「んな事言ったって…、なぁ?」
ふぁ~…と欠伸をついて、ショウイチはカウンターの端に目線を移す、レジにはさっきまでそこに居たはずのリュウスケの姿は無く、スリートだけがレシートと格闘していた。
本当はリュウスケに向けて相槌を促したわけだが、結果的にスリートが答えなければならないシチュエーションになってしまった。
「そうだな、当の組織は音信不通となって久しく、故にアーリータイプは借用したままに現状に至っている。残念ながらいちいち伺いを立てている暇は無いと判断する…」
律儀にもスリートは恐ろしいほどのスピードでキーボードを叩きながらショウイチに応じ…ている間に今日一日分の帳簿を打ち上げてしまっていた。
ひとえにミゼットのパートナーと言ってもその置かれる立場と事情は様々だ。
ショウイチとリュウスケ、そしてそのミゼットたちは彼らをサポートする組織に所属しており、一方のマナはそうした組織とは無関係な在野の「妖精使い」である。基本的には双方が互いに保障しあう責務は無い。
マナがショウイチたちと交流を持ち、時に彼らの活動に利益をもたらす情報を提供しているのは単にマナの個人的な都合に過ぎず、決してそれが組織に貢献する目的でも、それによって何らかの報酬を得ようとする契約でもないことは双方が承諾していることである。
一度だけ、マナを組織にスカウトしては?という話もあったのだが、「群れるのはイヤ!」の一言で一蹴されたこともあり、以来こういうスタンスでの付き合いとなっていた。
「…でもな、コロナ」
ショットグラスをひっくり返しに布巾に並べると、ショウイチはボトル棚に手を伸ばしてコロナを拾う。
「普段は我関せずの彼女がこっちに頼み込んでくるってのは、そりゃよっぽど切羽詰った事態なんだろ?」
「それは…分かるけど」
いや、コロナも別にマナが嫌いなわけではない。ただ心配なのだ、自分が身を寄せるこの男は存外情にもろく、困っている人を見過ごすことができない。
だがそれが彼の利益になったことなど、コロナはついぞ見たことが無いのだ。
幸いなことに、彼には幼い頃からリュウスケという最良にして冷静なストッパーがついていたため、小さいトラブルこそ日常茶飯事であったものの、大きな災いに巻き込まれる事は無かった。
だが自分と出逢ってから、彼はより積極性をもって他者のトラブルに関わってゆくようになる。
それはミゼットを得たことにより自分のキャパシティーが広がり、より深刻なトラブルにも対処できるようになった事に起因しているのかもしれない。
あるいは、これまでストッパー役を負っていたリュウスケに加え、それに輪をかけた様な冷静な性格のスリート、そして感情論で彼を諌める自分の存在に対し、その反動が大きくなったためなのかもしれない。
それがショウイチのバランスが崩れてしまったためか、それともこれが彼の心の「本質」だったのかは、自分には判断が下せない。
ただコロナは危惧していた…それがいつか彼にとって取り返しのつかない不幸につながってしまうのではないか…と。
…彼がそれでも他人を見捨てない人間であることを十分理解しているからこそ、余計に…。
「それにさ…」
ふっと声のトーンを落としたショウイチの、呟きにも似た声に思案に暮れていたコロナの知覚が機能を回復させる。
「聞いたことがあるんだ。その『後輩』クンのこと…。どういういきさつかは知らないけど、何でも屋みたいなことをしていて…自分の住んでる町の人間のトラブルを解決して始終奔走しているんだってさ。…それって何だか他人とは思えなくてな…」
…あぁ、これは最悪のパターンだ…、コロナは観念した。完全に我がパートナーは見たことも無いその『後輩』に感情移入しちゃっている…。
こうなると、彼が次に口にする台詞は決まっている。
「放っておけないだろ…?」
コロナは助勢を求めるようにスリートの方を見る…が、彼は冷めた視線を返すだけで何も言わない。「う~っ…」いかんともし難いもどかしさにコロナは身をよじる。
「人と共にある」べきミゼットとしては、100%の信頼と従順を捧げたいところだが、そうではない妙な生の人間的な感覚がそれに待ったをかけているのだ。
「…だからって…」
「分かっているさ、心配してくれてんだろ?」
そんなコロナのジレンマを見透かしたように、ショウイチは親指でぐりぐりとコロナの頭を転がす。
「…でもさ…そんな気持ちを、たぶん『先輩』は『後輩』クンに対して抱いている。だとしたらお前、それを見捨てておけるか?」
「…あ…!」
ショットグラスに映る自分の必死な顔に、昼間の彼女の表情がダブって見えた。その気持ちは…、自分がショウイチに対する感情と何ら変わりはしない。
利はあらずとも理がそこにはある。もしもそれを否定してしまったらなら、自分の存在そのものをも根底から否定してしまいかねない。
その上パートナーが明確な意志をもって為すことならば、もはやミゼットにそれを拒むロジックはありはしなかった。
「…そ…ね」
覚悟を決めるほかは無い…それをスイッチにコロナの思考は「いかにして彼を止めるか」から「いかにして彼を守るか」に切り替わっていた。
「そーゆーこと。仮眠をとったら俺たちも現場に行くぞ!」
…リュウスケは、その一部始終を控え室の扉の裏で聞いていた。
「相変わらず、意見はしないのだな?」
「意見はするさ、常識の範囲内でね」
彼の足元にはいつの間にか室内に入り込んでいたスリートが立っている。
「『青』は無策に突っ走る『赤』に注意を促すだけでいい。昔からそれが俺たちの居心地の良いスタンスだったんだ…」
照明もつけない夜明けの薄明かりの中、リュウスケがほんの少しだけ、笑った様に見えた。
「ショウイチはマナの件に関わると決めているが、君はどうする?…私は、君の決定に従うが」
「ならもう決まっているよ、スリート…」
一瞬、リュウスケの脳裏に遠い日の記憶が蘇る…野山に見立てた団地…五人で駆け回った日々…それも今は二人だけになってしまった…。
「行動を決定するのは、『赤』の役目だ…」
この時まだコロナは知らなかった…それが彼女のチームメイトと、そしてパートナーを失う壮烈な事件の幕開けとなろうとは…。
・・・「自販機の妖精」・了