7月15日朝7時大阪駅で待ち合わせして陸前高田に行ってきました。
ぴっぴランドというユニットで着ぐるみミュージカルを陸前高田の子供たちに届けに。
名神~北陸道~磐越道~東北道と乗り継いでこの日は一関の巌美渓で一泊。
16日早朝いよいよ陸前高田へ。山の方から高台にある米崎保育所に入ったので被害状況がわからなかったが、川沿いはひどい。鉄橋は流され、壊れた車が積み上げられている。
米崎保育所もおそらく最近新築になったようでピッカピカのすばらしい保育所。道をはさんだ向かいの旧米崎保育所がすっかり流されてしまった高田保育所になっていた。この二つの保育所の約200名の子供たちに奈良の会社から縁日と着ぐるみミュージカルをセットで持ってきたのだ。
話によると、200名の子供たちの半数は家を流され、その半数は家族や親戚を失ったと聞いた。
うだるような暑さの中、それでも子供たちは元気で遊び僕たちのミュージカルを楽しんでくれた。
仙台のハッチポッチジャグバンドつながりで、被災地に楽器を届けるプロジェクトがある。今回も知り合いに声をかけてPAの機材とか持っていこうかと考えていたのだが、車に余裕がなくて僕の持ってるDIとかチューニングメーターとかギタースタンドをスーツケースに詰めた。
そのブログで知った高田のMさんに渡せたらいいなと思っていたのだが、なかなか連絡が取れなかった。公演が終わって別のブログにあったTさん電話をしてみたら運よく繋がり、Mさんの電話を教えていただいた。すると仕事に戻る途中で保育所に来てくださるとのこと。軽トラックに乗ったとても背の高いMさん。日焼けした笑顔がすてきだった。機材を手渡し、少しの間お話を聞かせてもらった。なんと、妹さんが高田保育所の保母さんをしているとのこと。彼女の旦那さんはまだ見つかっていない。機材を送れるよう努力しますと約束し、また来ますと握手を交わした。
そこへシンガーソングライターご一行様が到着。やなぎさん、大阪のタケQ、そして水野さん。彼らはグローリーハレルヤというツアーをしていてこの日の夜花巻でライブをするのでせっかくだからと急遽、僕も歌わせてもらうことになっていたのだ。Mさんも岩手在住のやなぎさんのライブを高田にあったジャズ喫茶で聴いたことがあったそうで、ここでもひとつまた大切な再会が。
ミュージカルのスタッフや、Mさんとここで別れてミュージシャンご一行様と合流。
45号線へと車はむかう。
なにもない。
あるのは数えられるほどの廃墟と、恐ろしく積み上げられた瓦礫、車の残骸。
神戸を思い出すなぁ。と、いっていたようだが
実際、頭は何もうかんではいなかった。
ぴっぴランドというユニットで着ぐるみミュージカルを陸前高田の子供たちに届けに。
名神~北陸道~磐越道~東北道と乗り継いでこの日は一関の巌美渓で一泊。
16日早朝いよいよ陸前高田へ。山の方から高台にある米崎保育所に入ったので被害状況がわからなかったが、川沿いはひどい。鉄橋は流され、壊れた車が積み上げられている。
米崎保育所もおそらく最近新築になったようでピッカピカのすばらしい保育所。道をはさんだ向かいの旧米崎保育所がすっかり流されてしまった高田保育所になっていた。この二つの保育所の約200名の子供たちに奈良の会社から縁日と着ぐるみミュージカルをセットで持ってきたのだ。
話によると、200名の子供たちの半数は家を流され、その半数は家族や親戚を失ったと聞いた。
うだるような暑さの中、それでも子供たちは元気で遊び僕たちのミュージカルを楽しんでくれた。
仙台のハッチポッチジャグバンドつながりで、被災地に楽器を届けるプロジェクトがある。今回も知り合いに声をかけてPAの機材とか持っていこうかと考えていたのだが、車に余裕がなくて僕の持ってるDIとかチューニングメーターとかギタースタンドをスーツケースに詰めた。
そのブログで知った高田のMさんに渡せたらいいなと思っていたのだが、なかなか連絡が取れなかった。公演が終わって別のブログにあったTさん電話をしてみたら運よく繋がり、Mさんの電話を教えていただいた。すると仕事に戻る途中で保育所に来てくださるとのこと。軽トラックに乗ったとても背の高いMさん。日焼けした笑顔がすてきだった。機材を手渡し、少しの間お話を聞かせてもらった。なんと、妹さんが高田保育所の保母さんをしているとのこと。彼女の旦那さんはまだ見つかっていない。機材を送れるよう努力しますと約束し、また来ますと握手を交わした。
そこへシンガーソングライターご一行様が到着。やなぎさん、大阪のタケQ、そして水野さん。彼らはグローリーハレルヤというツアーをしていてこの日の夜花巻でライブをするのでせっかくだからと急遽、僕も歌わせてもらうことになっていたのだ。Mさんも岩手在住のやなぎさんのライブを高田にあったジャズ喫茶で聴いたことがあったそうで、ここでもひとつまた大切な再会が。
ミュージカルのスタッフや、Mさんとここで別れてミュージシャンご一行様と合流。
45号線へと車はむかう。
なにもない。
あるのは数えられるほどの廃墟と、恐ろしく積み上げられた瓦礫、車の残骸。
神戸を思い出すなぁ。と、いっていたようだが
実際、頭は何もうかんではいなかった。
どんなことが起こっても絶っちゃならぬのは、
ヒトとヒトの繋がりだと思う・・・「縁」
全く初めての町の米崎保育所が窓口になってる、陸前高田元気文庫に本を送っているのが、長崎でいつもお世話になってる長崎ボランティア協会だったりしたのです。