今回は、京都市中京区に ある新選組ゆかりの地 として知られている壬生寺ですが、古くから京都三大狂言のひとつ「壬生狂言」や、2月の節分会などの伝統が残されるお寺です。
壬生狂言を正しくは「壬生大念佛狂言」と言い「壬生さんのカンデンデン」という愛称と共に、古来から京の庶民大衆に親しまれてきました。
この壬生狂言は今から700年前の鎌倉時代、壬生寺を大いに興隆した円覚上人(1223~1311)が始めたものです。
当時、円覚(えんがく)上人(しょうにん)の教えを来聴する大衆が数十万人にも及んだので、人々は上人を「十万(じゅうまん)上人(しょうにん)」と呼んでいました。
上人は、正安2年(1300)、壬生寺において「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行いました。
この時に上人は、拡声器とてない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。
そして、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えついたのです。
これが壬生狂言の始まりと伝えられています。
壬生狂言の春の公開「壬生大念佛会」は、壬生寺の年中行事の法要であって狂言は本来この期間、朝・昼・夜の勤行(ごんぎょう)のうちの昼の勤行として、壬生大念佛講が、壬生寺の御本尊である延命地蔵菩薩に奉納するものであります。
この法要は正安2年以来、約700年間も途絶えること無く、連綿と続けられてきたのです。
その宗教性を皆様に理解していただくために毎年最終日の夜の部において「結願式(けちがんしき)」の公開を行っております。
壬生狂言について
壬生狂言を正しくは「壬生大念佛狂言」と言い「壬生さんのカンデンデン」という愛称と共に、古来から京の庶民大衆に親しまれてきました。
この壬生狂言は今から700年前の鎌倉時代、壬生寺を大いに興隆した円覚上人(1223~1311)が始めたものです。
壬生狂言のはじまり
当時、円覚(えんがく)上人(しょうにん)の教えを来聴する大衆が数十万人にも及んだので、人々は上人を「十万(じゅうまん)上人(しょうにん)」と呼んでいました。
上人は、正安2年(1300)、壬生寺において「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行いました。
この時に上人は、拡声器とてない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。
そして、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えついたのです。
これが壬生狂言の始まりと伝えられています。
せりふを用いない宗教劇
近世に入ると庶民大衆の娯楽としても発展し、本来の宗教劇のみならず、 能 や物語などから色々と新しく取材され、曲目やその数も変遷して現在上演されるものは、30曲であります。
しかし、一般の能狂言とは異なり、かね・太鼓・笛の囃子に合わせ、すべての演者が仮面をつけ、一切「せりふ」を用いず無言で演じられる壬生狂言の形は変わらず、娯楽的な演目の中にも勧善懲悪、因果応報の理を教える宗教劇としての性格を今日まで残しています。
壬生大念佛会
壬生狂言の春の公開「壬生大念佛会」は、壬生寺の年中行事の法要であって狂言は本来この期間、朝・昼・夜の勤行(ごんぎょう)のうちの昼の勤行として、壬生大念佛講が、壬生寺の御本尊である延命地蔵菩薩に奉納するものであります。
この法要は正安2年以来、約700年間も途絶えること無く、連綿と続けられてきたのです。
その宗教性を皆様に理解していただくために毎年最終日の夜の部において「結願式(けちがんしき)」の公開を行っております。
秋の公開
秋の公開は、もともと臨時的に行われていたもので、明治4年を最後に103 年間も途絶えていましたが、狂言の発展や後継者養成のため、昭和49年に復活されました。
以来、秋の特別公開として、毎年特に人気の高い番組を上演しています。
節分の公開
節分の公開は、春の大念佛会のさきがけとして、さらに壬生寺節分会(せつぶんえ)の参詣者の厄除・開運を祈願し、壬生狂言の『節分』を繰り返し上演するものです。
重要無形民俗文化財
時代が変わり、近年は民俗文化財としての評価が高まり、昭和51年に国の重要無形民俗文化財として、京都府下では第一番に指定を受けました。
また、狂言を演ずる大念佛堂(狂言堂)は、安政3年(1856)の再建ですが、綱わたりの芸をする「獣台(けものだい)」や鬼などが飛び込んで消える「飛び込み」などの装置を持つ、他に類例を見ない特異な建造物として、 昭和55年に国の重要文化財として指定され、 昭和58年から2年半にわたり解体修理が行われました。
その他、収蔵する仮面は室町時代から現代の作まで、約190点あり、衣裳・小道具は江戸時代のものを含めて数百点を数えます。
近年、それらの保存や復元が年々難しくなる傾向にある中、その事業は着々と進められています。
■壬生狂言の年間定例公開 (春・秋・節分の3回。延べ14日間)
新選組/壬生塚について
壬生寺は新選組ゆかりの地としても有名で、全国からたくさんの参拝客が訪れます。
境内東方にある池の中の島は「壬生塚」と呼ばれ、新選組隊士のお墓などが残されています。
新選組は文久3(1863)年に、ここ壬生の地で結成されました。
当時、境内で兵法の練習や武芸や大砲の訓練が行われていたこと、沖田総司が子ども達を集めて遊んでいたこと、近藤勇をはじめ、多くの隊士が壬生狂言を鑑賞したことなど、新選組にまつわる記録も多数残されています。
そのため、毎年池田屋騒動のあった7月16日に、隊士の霊を慰めるため「新選組隊士等慰霊供養祭」が行われます。
当日は法要の他、京都新選組同好会のメンバーが新選組の隊士に扮装し、壬生寺から八坂神社までの道のりを歩きます。
■春の大念佛会
4月29日(木・祝)~5月5日(水・祝) 14時~17時30分 一日3番のみ
■鑑賞料
1000円(大人) 中高生 ¥500
当日券・自由席のみ
■詳しくは:http://www.mibudera.com/
■市バス26「壬生寺道」 壬生寺道で下車 坊城通りを南へ200m
阪急電車 では 大宮で下車 四条通りを西へ信号2つ目の坊城通りを南へ
嵐電(京福電車)では 四条大宮終着駅下車 阪急電車と同じ道順です
自家用車 では 門前にコイン駐車場(8台分)があります
■〒604-8821
京都市中京区坊城通り仏光寺北入る
■電話 075-841-3381 FAX 075-841-4481
*主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。
京都の古都なら http://www.e-kyoto.net/
壬生狂言を正しくは「壬生大念佛狂言」と言い「壬生さんのカンデンデン」という愛称と共に、古来から京の庶民大衆に親しまれてきました。
この壬生狂言は今から700年前の鎌倉時代、壬生寺を大いに興隆した円覚上人(1223~1311)が始めたものです。
当時、円覚(えんがく)上人(しょうにん)の教えを来聴する大衆が数十万人にも及んだので、人々は上人を「十万(じゅうまん)上人(しょうにん)」と呼んでいました。
上人は、正安2年(1300)、壬生寺において「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行いました。
この時に上人は、拡声器とてない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。
そして、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えついたのです。
これが壬生狂言の始まりと伝えられています。
壬生狂言の春の公開「壬生大念佛会」は、壬生寺の年中行事の法要であって狂言は本来この期間、朝・昼・夜の勤行(ごんぎょう)のうちの昼の勤行として、壬生大念佛講が、壬生寺の御本尊である延命地蔵菩薩に奉納するものであります。
この法要は正安2年以来、約700年間も途絶えること無く、連綿と続けられてきたのです。
その宗教性を皆様に理解していただくために毎年最終日の夜の部において「結願式(けちがんしき)」の公開を行っております。
壬生狂言について
壬生狂言を正しくは「壬生大念佛狂言」と言い「壬生さんのカンデンデン」という愛称と共に、古来から京の庶民大衆に親しまれてきました。
この壬生狂言は今から700年前の鎌倉時代、壬生寺を大いに興隆した円覚上人(1223~1311)が始めたものです。
壬生狂言のはじまり
当時、円覚(えんがく)上人(しょうにん)の教えを来聴する大衆が数十万人にも及んだので、人々は上人を「十万(じゅうまん)上人(しょうにん)」と呼んでいました。
上人は、正安2年(1300)、壬生寺において「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行いました。
この時に上人は、拡声器とてない昔、群衆を前にして最もわかりやすい方法で仏の教えを説こうとしました。
そして、身ぶり手ぶりのパントマイム(無言劇)に仕組んだ持斎融通(じさいゆうづう)念佛を考えついたのです。
これが壬生狂言の始まりと伝えられています。
せりふを用いない宗教劇
近世に入ると庶民大衆の娯楽としても発展し、本来の宗教劇のみならず、 能 や物語などから色々と新しく取材され、曲目やその数も変遷して現在上演されるものは、30曲であります。
しかし、一般の能狂言とは異なり、かね・太鼓・笛の囃子に合わせ、すべての演者が仮面をつけ、一切「せりふ」を用いず無言で演じられる壬生狂言の形は変わらず、娯楽的な演目の中にも勧善懲悪、因果応報の理を教える宗教劇としての性格を今日まで残しています。
壬生大念佛会
壬生狂言の春の公開「壬生大念佛会」は、壬生寺の年中行事の法要であって狂言は本来この期間、朝・昼・夜の勤行(ごんぎょう)のうちの昼の勤行として、壬生大念佛講が、壬生寺の御本尊である延命地蔵菩薩に奉納するものであります。
この法要は正安2年以来、約700年間も途絶えること無く、連綿と続けられてきたのです。
その宗教性を皆様に理解していただくために毎年最終日の夜の部において「結願式(けちがんしき)」の公開を行っております。
秋の公開
秋の公開は、もともと臨時的に行われていたもので、明治4年を最後に103 年間も途絶えていましたが、狂言の発展や後継者養成のため、昭和49年に復活されました。
以来、秋の特別公開として、毎年特に人気の高い番組を上演しています。
節分の公開
節分の公開は、春の大念佛会のさきがけとして、さらに壬生寺節分会(せつぶんえ)の参詣者の厄除・開運を祈願し、壬生狂言の『節分』を繰り返し上演するものです。
重要無形民俗文化財
時代が変わり、近年は民俗文化財としての評価が高まり、昭和51年に国の重要無形民俗文化財として、京都府下では第一番に指定を受けました。
また、狂言を演ずる大念佛堂(狂言堂)は、安政3年(1856)の再建ですが、綱わたりの芸をする「獣台(けものだい)」や鬼などが飛び込んで消える「飛び込み」などの装置を持つ、他に類例を見ない特異な建造物として、 昭和55年に国の重要文化財として指定され、 昭和58年から2年半にわたり解体修理が行われました。
その他、収蔵する仮面は室町時代から現代の作まで、約190点あり、衣裳・小道具は江戸時代のものを含めて数百点を数えます。
近年、それらの保存や復元が年々難しくなる傾向にある中、その事業は着々と進められています。
■壬生狂言の年間定例公開 (春・秋・節分の3回。延べ14日間)
新選組/壬生塚について
壬生寺は新選組ゆかりの地としても有名で、全国からたくさんの参拝客が訪れます。
境内東方にある池の中の島は「壬生塚」と呼ばれ、新選組隊士のお墓などが残されています。
新選組は文久3(1863)年に、ここ壬生の地で結成されました。
当時、境内で兵法の練習や武芸や大砲の訓練が行われていたこと、沖田総司が子ども達を集めて遊んでいたこと、近藤勇をはじめ、多くの隊士が壬生狂言を鑑賞したことなど、新選組にまつわる記録も多数残されています。
そのため、毎年池田屋騒動のあった7月16日に、隊士の霊を慰めるため「新選組隊士等慰霊供養祭」が行われます。
当日は法要の他、京都新選組同好会のメンバーが新選組の隊士に扮装し、壬生寺から八坂神社までの道のりを歩きます。
■春の大念佛会
4月29日(木・祝)~5月5日(水・祝) 14時~17時30分 一日3番のみ
■鑑賞料
1000円(大人) 中高生 ¥500
当日券・自由席のみ
■詳しくは:http://www.mibudera.com/
■市バス26「壬生寺道」 壬生寺道で下車 坊城通りを南へ200m
阪急電車 では 大宮で下車 四条通りを西へ信号2つ目の坊城通りを南へ
嵐電(京福電車)では 四条大宮終着駅下車 阪急電車と同じ道順です
自家用車 では 門前にコイン駐車場(8台分)があります
■〒604-8821
京都市中京区坊城通り仏光寺北入る
■電話 075-841-3381 FAX 075-841-4481
*主催者の都合により、予定・内容が変更される場合がありますので事前にご確認お願いいたします。
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