天路歴程

日々、思うこと、感じたことを詩に表現していきたいと思っています。
なにか感じていただけるとうれしいです。

夕顔

2012-10-03 07:42:05 | 小説
澤部さんは面白がっていた。俺は腑に落ちなかったが、どんな本か読んでみようと思った。
一人のおばさんがこちらにやって来た。澤部さんの隣の席を指差した。
「ここ、いい。」
澤部さんはうなずいた。
「どうぞ。」
そのおばさんは座るなり、ため息をついた。
「ああ、しんどい。クーラーがない暑いところで仕事するのはしんどいわ。」
澤部さんは相づちをうった。
「そうですね。」
おばさんは、持っていたペットボトルからごくごくとお茶を飲むと、思いついたように澤部さんに話しかけた。
「そういえば、あなた、仕事が終わるとさっさと帰るわよね。旦那さんがうるさいの。それとも、お子さんが小さいの。」
「いいえ。私、独身ですから。」
「じゃあ、たまには一緒にお茶でも飲まない。みんなとおしゃべりするのも楽しいわよ。」
「用事があるので、ゆっくりできないんです。」
「そんなに毎日忙しいの。」
「ええ、まあ。」
「どんな用事なの。」
おばさんはどんどん突っ込んできた。澤部さんは少し困ったように微笑んだ。
「…母を介護していまして。デイサービスに預けているんですが、この仕事が終わったら、すぐに家に帰らないと、母が戻ってくる時間に間に合わないんです。」
おばさんの目がきらりと光った。ねずみを飲み込む前の蛇の目だと俺は思った。同情をまぶした優しい声でおばさんは尋ねた。

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