自然と家族のために生きるというかね。子どもたちもほぼケンカがなくて、
むしろ普通に面倒見るというか、4〜7歳から下の子のおしめ変えるとかだったらしい。
(大伯父と母方祖父の暮らし方が似てると思ったら9歳違いだった。
なるほど母とは17歳離れていたから、同級生に父親と間違われて気まずかったらしいけれど、髪も薄めだったらしく、さもありなんとあらためて事情がわかった)
戦後成人した私たちは修身を学んでいないから「今だけ良ければ良い」「金だけ貰えれば良い」「自分だけ良ければ良い」→今だけ金だけ自分だけの罠
GHQのWGIP、3S愚民化政策、自虐歴史観。
私が物心ついたときからの違和感のひとつはこれだった。
戦前に成人していた人と、戦後に成人したひとの違いカルチャーショック。
で、子どもに手がかからなくなってきた頃から多趣味に自己実現。
一生青春というのか、社交ダンスとかいろいろカッコよかった。
(大伯母が参加していた「おばあちゃん劇団ほのお」を思い出した。
大伯母も若い頃は家に爆弾落ちたり、不幸があったり大変だったらしいけど、
老後は多趣味で、老いてからやっと青春時代が来たと言っていろいろ楽しんでいた。)
野菜販売の番をしていたのか、何度か日陰で涼んでいたのを見かけたけど、
それが、祖父の晩年の姿に重なって見えてたけど。
8月の御盆は少しボケっぽかったけど普通に話してお茶したのにね。
平均寿命は超えてたけど、9月30日位に手術して、手術自体は成功したらしいけど、
術後の療養中に自発呼吸できなくなって、ICU入ったのに、自発呼吸できるようになって、療養型病院に移れたのはスゴイ!と思ったけど。
大甥、大姪の誕生日に命日で、この日を選んだのかなって勝手に思ってしまった。
兄弟が集まった日も通夜葬儀も比較的温かな風の無い日で、人徳の高さに感動しました。
会場出てすぐの駐車場に赤い車があって「あれはおまえの車か?おりゃー赤い車が好きだ」と言ってニコっと笑っていたのを思い出しました。