のんびり日本人の、のんびりブログ!

ニュースに関することや評論、古史古伝や学問等についてのんびりと書き綴っていこうと思います。

ロシア・ウクライナ紛争の研究(3)「国際法・現行日本国憲法について」:現行憲法第九条〔戦争の放棄〕の現状でも、自国防衛に関する武力行使は、本来は有効

2022年03月07日 16時58分41秒 | 戦争・紛争戦略研究(ロシア・ウクライナ戦争)
 ロシアはウクライナに侵攻した。これは、国連が定めた「力による現状の国境変更の禁止」に違反した行為であることは明白ではある。しかし、「国際法の法の支配」という観点から見るとどうなるか?「国際法の法の支配(一般国際法・国際慣習法)」の「法」とは、国際的な伝統・文化・慣習を言う。ロシア・ウクライナ紛争を「国際法の法の支配(一般国際法・国際慣習法)」に当てはめると、ペーパーの国際法(建前論)では「力による現状の国境変更の禁止」は禁止され、ロシアは違法行為を働いているのであるが、「国際法の法の支配(一般国際法・国際慣習法)」から見ると、今でも現状は変わりなく、弱いものが潰される「パワーゲーム」の国際社会は変わっていのかもしれない。
(「国際法の法の支配(一般国際法・国際慣習法)」はこれ以降は「国際法の法の支配」で統一する)
 
 国際法の法の支配が要請する諸国民の3大義務は「教育・納税・防衛」であるが、しかし、日本国憲法が定める今の国民に要請する3大義務は「教育・労働・納税」と学校の社会科教育や法学教育で教えられている。「防衛の義務」が教えられていない。国際法の法の支配では、国が防衛に動いた場合、その国の国民は、なるべく自国の防衛に協力することが義務付けられているのだが(国の指示に従っての避難、兵役に就いての戦闘協力、食料・戦闘においての重要物資の生産強化など)。もしかして、我が国の社会教育者や法学教育者は「法治主義者(法律により国を支配する者)」の集合体か?
 
 「法の支配」の「法」とは、国際的な伝統、慣習、文化及び、国内の伝統・文化・慣習(日本では祭祀も含まれる)という国際的・国内的な慣習法のことを言い、国内を法の支配で統治するのが「正しい国の統治方法」とされているが、「法治主義」の「法」とは「法律」のことであり、法の支配を超える「法律」によって国を統治することを「法治主義」という。この国の統治方法は、「人治主義」の一形態として、近代法学思想では危険な統治方法であるとされている。
 
 「法治主義」、「人治主義」の代表例が中国で、まさしく「人治主義」国であり「法治主義」国といえる。
 もしも、「法治主義者」が我が国の社会科・法学教育を支配しているのなら、これは、我が国の「法の支配」を崩壊に導く危険極まりない自体である。
 
 これだけ見ても、日本国憲法第九条(戦争の放棄)の現状の憲法解釈は国際法における「法の支配」に合致していなく、無効解釈といえる。
 
 もし、現行の日本国憲法が有効憲法である場合(実際は「違憲」であり「無効憲法」である可能性が非常に高い)、本来の国際法の法の支配にも、日本国内の法の支配にも合致した現状憲法九条の憲法解釈は「他国からの自国への侵略行為における防衛戦争に関しては、自衛権行使は有効」である。1946年夏、芦田均内閣時に行われた委員会で、国際法の法の支配にも、我が国国内の法の支配にも合致した憲法解釈(芦田修正論)となり、自国防衛に関しては、フルスペックでの武力行使が可能となった。
 
 もちろん、同盟国の防衛もフルスペックでの武力行使が可能である。「国際法の法の支配」では同盟を結んだ国は、自国と一対となす物として考えられているからである。この現行憲法第九条の機能の停止の事態が発生したのは、当時の吉田首相の時である。