より練らない言葉

飲みながら腰で聞ける音楽プロジェクト     ”くまごころ ”
リーダー&ソングライター 木栄一のブログ

生きることについて考えさせられる(長文になります)

2011-03-13 10:25:07 | Weblog
取りあえず、私は無事です。
実家の茨城県東海村からは一度電話繋がったきり、まだ繋がりません。
なんだか茨城の方は大変な模様。


あの時、職場の4Fでしたが、天井に吊り下げられた配電盤が千切れそうなくらいに揺れて、ホントにこれはもう駄目かと思ってしまいました。


ビルから飛び出て近くのグランドに避難した際にあの強い余震が来ました。
地面に感じる揺れも、経験ないしたことのないレベルのものでした。



ワンセグでTV見た時、自分の体験したあの感覚が震度5強で、震源地が宮城の方だと知った時には底知れない不安を感じました。


その理由は震源地との距離が遠いのに、あれほどの強い揺れを自分が感じたことから、東北の方は相当ヤバイのではないかということと震度7という数字に対しての恐怖と。



でも昨晩からの想像を遥かに上回る状況には、ほとんどの人と同様に驚いています。



結局、職場から家まで3時間かけて歩いて帰って来ました。
カミさんからメールがあって、帰宅難民になってるということで(多分、明日の早い時間から用があるような感じもしたので)車で向かえに出発しました。


タイミング悪くいつも以上に昼の弁当が少なすぎたせいもあって意識朦朧。
国立の家から、都心に車を走らすなんて火の中に飛び込んでいくようなもの。


しかも家から出発して直ぐに五日市街道が大渋滞してる。





取りあえず、近くの吉野屋で牛丼食って腹ごしらえする。
しかし、腹だけが膨れ上がってる感じがして、頭は朦朧としたまま。
これでは、とてもじゃないけど都心まで運転は無理だと思い、隣のコンビニでガーナの板チョコを買う。



いや~、これが信じられないくらい美味いのなんのって!
俺じゃ有り得ない行為なんだけど、一気に全部食ったもん。

頭の中が一気にすっきりしたおかげで無事カミさんを迎えに行くことも出来たわけですよ。(往復5時間くらい)





被災者の方々には、失礼なレベルの話だけど、あの時のチョコレートの美味しさというか、頭が蘇る感覚が忘れられない。


考えてみれば、お洒落なお店で気の会う仲間と食べることも、あの時必要に迫られてガーナの板チョコ食べるのも、同じ食べるという行為なんですよ。





こじつけと言われるかもしれないけど、同じく生きることもまたいろいろ。


そしてなぜか生きていく中での仕事であったり、人間関係であったりの価値感が、さっき取り上げた二種類の食べるという行為と重なる部分がある気がしてしまう。(なんだかぼんやりとして上手く説明できませんが、どっちいい悪いとかどっちかだけって話じゃないですよ)



一瞬にして、家や職場を失った人の数さえよく分からない現状を目の当たりにすると、これからどうなっていくんだろうという不安とともに、生きることや幸せってなんだろうって思う。



なんだか真面目に書いてみました。





ちなみに我が家は、小物が少し散乱してたくらいで全然大丈夫でした。

家庭内の心の橋は崩落寸前ですが・・・・ってやかましわ(笑)