燈子の部屋

さまざまなことをシリアスかつコミカルかつエッセイ風に(?)綴る独り言的日記サイトです

夫の絶妙な鈍感力

2019-11-29 22:30:07 | 脳出血関連
 こんにちは、燈子です。
 今日のさいたまはよく晴れていいお天気です──でした、寒かったけど。
 (昼間にまとめられず、半分書いて中断、夫と外食して帰宅した今、続きを少し書いてみようと思います)
 小学校の朝礼での校長先生のお話の一説をいまだに思い出します。

 「人はよく、お天気がいいとか悪いとか言いますが、お天気にいいも悪いもありません。すべては人間が勝手に言っていることなのです」

 わかっちゃいるけど、つい言っちゃいますよね。言葉って、結局、主観的なものですし。
 まあ、校長先生はシスターでしたから、神の創造物に文句を言わず、自然を受け入れなさいということが仰りたかったのかもしれません。当日のお天気はもう覚えていないんですけど、たぶん、雨模様だったのでしょう。
 ローマ教皇来日のニュースを見た時、クリスマス・シーズンということと相まって、ローマ・カトリック系だった小学校時代を懐かしく思い出しました。
 ああ、こうして思い出に耽ることが多くなると、いよいよ立派なおばあちゃんですね(^^;)
 見た目はまだシニアなので、メンタルシルバーとでも言っておきましょうか。
 心身の若いうちにいろいろな経験をしておいて、老後はそれらの思い出をはんすうしながら穏やかに暮らすというのが私のまことに大雑把なライフプランでしたが、今回の病気をきっかけに、気持ちが少し変わってきました。
 この半世紀は、ほぼ自分のためだけに生きて来たようなものなので、余生は、少しは人のためになりたいなあ、という公共心が芽生えてきたのには、自分でもびっくりしました。とはいえ、そこはまあ、ぐうたらな私なので、具体性に欠けますが……(-_-;)
 
 そうそう、あらためて書くまでもないとは思いますが、一応、お断りしておこうと思います。
 お察しの通り、脳出血は、損傷部位によって、また、おそらく発症年齢や生活習慣などの諸事情により、障がいの程度や回復速度、社会復帰にかかる時間などの個人差がとても大きいと思われるので、私の記録は単なる一例としてお読みくださいますよう、お願いいたします。

 閑話休題。

 病院での食事といえば、経鼻胃管栄養(というのかなあ?)はいつの間にか始まっていて、意外と慣れてしまい、もちろん不自由ではあったけれど、TVドラマなどで目にした時に自分が想像していたような装着時の不快感は特にありませんでした。ただ、あのチューブはおそらくとても慎重にゆっくりと挿入されたに違いないのに、取り外す時にはこちらが危うく「ちょ! まっ! うそぉ~ん!?」と言いそうになるほど事前のワーニングの通りに本当に容赦なく事もなげに一気に引っこ抜かれてビビりました。ほんの一瞬、魂がわずかに吸い出されたかのように感じて茫然としてしまったものの、あとで別の看護師さんに「あら~、やっぱりチューブがないと印象が全く違って見えますね~」と言われ、生来能天気な私は勝手に誉め言葉とポジティブに受け止めてルンルン♪気分に^^
 その一言がなければ、がっかりしたと思う、夫はこちらが言うまで外れたことに気づかなかったし、というか、今でも「そんなのしてた?点滴だったでしょ?」などと………(;´Д`) うん、まあ、確かに点滴もしてたよ、してたけどさ~。まあ、そのままでいいや。これまでにも、夫の絶妙な鈍感力に助けられてきたものね。

 とはいえ、仕事帰りにほとんど毎日のように見舞いに来てくれた夫には本当に感謝している。
 見舞いといえば聞こえはいいけれど、その内実は、意識が戻って普通の(?)入院患者にレベルアップした私のめんどくさいクレーム処理係にほかならなかったのではないかと思えるし。
 救急病院には、仕事先から直行するよりも、一度帰宅してからのほうが立ち寄りやすかった(徒歩40~50分)のと、自宅から持参するものや、あらためて買うものがあったりで、夫はいつもスーツから着替えたラフな格好で現れては、いくつかの補給物資(洗濯済みの靴下やハンドタオル)などをサイドテーブルに投下し、会話もそこそこに”見回りに行ってくる”と称して院外の喫煙可能な場所に行ってしまうのだった。
 帰る頃には日も落ちて寒いので、さすがに病院の近くから最寄り駅行のバスに乗って帰宅したけれど、たまにバスに先を越されて歩いて帰らざるをえなかったこともあったらしかった。

 ふう、今日はこの辺で。

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