インターネットには素晴らしい面が沢山ある。
特にプライベートなブログ、youtubeなど、素人でも自分の意見や作品などをインターネットを通じて沢山の人に見てもらえるというのはインターネットの素晴らしい恩恵であろう。
ただ仕込みとかやらせとか、フェイクニュースとか、もともとインターネットの無い時代からある信じてはいけない情報であるが、ネット社会になって増幅され、目を覆いたくなる悪い面も盛りだくさん出てきていることは、キチンと自覚すべきである。
こういう信じてはいけない情報の悪いところの1つは、たとえそれが善意に基づくものでも、そういうものを信じることで良い情報と良くない情報の見分けがつかなくなることかと思われる。
その見分けが出来なくなると、つまるところ、何を信じてよいかわからなくなり、見る者の精神状態が不安定になる。
これは精神病を誘発するし、社会全体を精神病に導くことになる。
すでに現在のネット社会は精神的に深く病んでいると感じる。
近年、信じられないような残忍、凶悪な犯行が後を絶たないのもこのようなネット社会の悪弊が及ぼすところが大きいのではないだろうか。
インターネットには素晴らしい面も沢山ある。
しかし、情報に感動したり共感する前に、その情報の出所を確認し、安心できるものであることを確認する用心深さがネット社会に生きるものとして必要かと考える次第である。
SNSで共有ボタンを押す前に、共有対象情報が本当に信じてよいものかどうか、出所がどこかを確認することにしたいものである。
特にプライベートなブログ、youtubeなど、素人でも自分の意見や作品などをインターネットを通じて沢山の人に見てもらえるというのはインターネットの素晴らしい恩恵であろう。
ただ仕込みとかやらせとか、フェイクニュースとか、もともとインターネットの無い時代からある信じてはいけない情報であるが、ネット社会になって増幅され、目を覆いたくなる悪い面も盛りだくさん出てきていることは、キチンと自覚すべきである。
こういう信じてはいけない情報の悪いところの1つは、たとえそれが善意に基づくものでも、そういうものを信じることで良い情報と良くない情報の見分けがつかなくなることかと思われる。
その見分けが出来なくなると、つまるところ、何を信じてよいかわからなくなり、見る者の精神状態が不安定になる。
これは精神病を誘発するし、社会全体を精神病に導くことになる。
すでに現在のネット社会は精神的に深く病んでいると感じる。
近年、信じられないような残忍、凶悪な犯行が後を絶たないのもこのようなネット社会の悪弊が及ぼすところが大きいのではないだろうか。
インターネットには素晴らしい面も沢山ある。
しかし、情報に感動したり共感する前に、その情報の出所を確認し、安心できるものであることを確認する用心深さがネット社会に生きるものとして必要かと考える次第である。
SNSで共有ボタンを押す前に、共有対象情報が本当に信じてよいものかどうか、出所がどこかを確認することにしたいものである。