その日常だが、少し遅めに、朝起きると、のんびりテレビを見るようなことになっている。朝早くから、一生懸命働いている人たちもいるのだろうに、これも、かなり申し訳ない話だと思っているのだが。
朝ドラなどは、今は見ていないので、必然的に、朝のニュース番組から、ワイドショーを見ると言う流れになる。ただ、世間は、コロナ禍なので、その報道は、どうしてもコロナ禍関連になってしまっている。すると、左翼系マスコミグループのA局の番組などは、結構、行政批判、自粛煽り一辺倒で、すっかりうんざりして、見ることはなくなった。今は、以前には、あまり見ることがなかった保守系マスコミグループのF局の番組を主に見ている。その番組のMCは、自分より年上世代で、長年務めてきたMC界の大御所だ。近々引退するらしくて、番組も無くなるらしいのが、少し、残念ではあるのだが。ただ、まだ番組は続いているし、そのMCも、高齢者世代でもあり、このコロナ禍に対する受け止めが、比較的自分の感覚と近い気がして、安心して見ることが出来るので、今は見続けている。しかし、この番組には、若い保守系のコメンテーターも、かなり出ていて、そのやや乱暴な、コロナはただの風邪的な発想に基づく自粛批判的な意見にも、かなり辟易とは、しているのだが。まあ、自粛している高齢者からすると、たまには、少し我慢もしろよと、言う思いも起きる。
ただ、今朝、気になったのは、そんなことではない。今朝の番組冒頭部分では、まあ、いつもと同じ作りなのだが、首都圏の緊急事態宣言延長を受けて、土日の休みを中心として、自粛破りが横行していること。そして、宣言疲れに不満を漏らしながらも、緩みに不安もある街角の意見を、延々と流していた。いつも通りではあるのだが。どう見ても、社会不安を煽るような番組作りにしか思えない。自分には、自粛していた人たちは、自粛を続けているのだろうし、我慢出来ない人たちは、そのまま我慢していないだけで、特別に急な緩みなどはなく、特に変化などはないとしか思えないのだが。もちろん、客観的なデータで、人出が増えているところもあれば、減っているところもあるような情報も付け加えられたし、取材映像には、煽り報道に否定的なMCや他の出演者たちの、報道のあり方に疑問も呈する意見も付け加えられてはいた。だからこそ、この番組を、選んでもいる。ただ、主要な出演者も批判的で、しかも、テレビ局の報道機関としての思想的な背景も、自粛煽りには批判的な筈なのに、その番組作りは、結果からすると、過剰な自粛の雰囲気作りを醸成しているように思える。結局、この経済優先の保守的な報道姿勢の局の番組でも、不必要とも思える過剰な自粛煽りが行われているようにも感じたのだ。番組スタッフが、実は、それを望んでいるのか。スポンサーが、それを望んでいるのか。いや、それは、ない筈だろう。それとも、そうしないと視聴率が取れなくて、ポピュリズム感覚で、そうしているのだろうか。自分は、今は、外出は、必要な買い物と所用でしかしないし、後は、家で一人で酒を楽しむ程度。もともと、喫煙は一切しない。こんな書き物でもしていれば、十分に退屈せずに過ごせる。それが気楽で、苦にならない性格だからだ。結果として、かなりの自粛生活になっている筈だ。しかし、人それぞれだと思うし、そんな自粛生活を好まない人たちは、自己責任だが、もっと活動的であっても、別にとやかくは思わない。自分が、それが怖ければ、そうした人たちとの接触を減らせば良いと思っているからだ。自分は、そんな独居的な生活を好んでいる訳なのだし。
テレビを見るのは、確かに好きなのだが。自粛破りを批判的に報道する自粛煽りと、そのことと相反する自粛の経済被害煽りを、矛盾させたままで、際限なく垂れ流している。耐え難い思いしか湧かない。行き着くところは、国民皆の血税を止めどなく使って、一部の目立つ経済被害者にのみ保障する煽り意見で終わったりする。確かに保障でも足りずに苦しんでいる事業者もいるようではあるが、自粛せずに抜け駆けしながら、しかも、した振りをして、保障金を貰っているとか。小事業者だと保障金で、焼け太り出来るとか。そんなこともあるらしい。結局、一番視聴率を取りやすい、行政への批判の煽りと、視聴者の不安の煽りを、ひたすら煽り続けるだけのように思えるテレビのワイドショーのあり方には、鬱陶しさしか感じなくなってしまった。今は、テレビを消して、こうして書き物をしている時間が、増えてきている。