ただ、そんな自分でも、その事象を、足りないアタマとは言え、いくら分析、理解しようとしても、理解出来なかったことは、何度となくあった。そして、その事象が、超常的としか表現出来なかったことは、認めざるを得ない。
この高齢者になって、残念な話だが、妻がいるのだが、心が通い合わなくなって、決別も覚悟している事態になっている。ただ、そんな関係の妻だが、自分の理解を超えた異能を持っているのでは、としか思えないことがあった。その部分には、未だに、敬意のような気持ちを抱いていることは、間違いない。
自分たち夫婦には、中年と言える年齢の二人の息子がいるが、そのうちの長男が、小学校六年生だった時の話だ。ある朝、いつも通り、子どもたちは寝坊して、起きてきていなくて、出社する自分と妻が、二人で朝の食卓で、向かい合っていた。ところが、妻が、いつになく、寡黙になっていて、顔色も蒼白い。どうしたのかと、当然尋ねた。すると、重い口を開き、今朝、ちょっと嫌な夢を見た、と言う。内容を尋ねると、彼女の時折り見ると言う予知夢を、思わせる内容だった。
彼女の見る予知夢と言うのは、人が亡くなったり、危篤に陥ったような時に、夢に、その人が訪ねてくると言うものだった。実際に、そのしばらく前に、義母が亡くなったり、義父も危篤状態に陥ったりしたが、そのどちらかか、或いは、別の親戚だったのか、よく覚えていないが、実際に、やはり、朝、その人が夢に訪ねてきた話を彼女がして、近い日に実際に亡くなった、と言うことはあった。ひょっとすると、妻には、自分の理解を超えた、ある種の能力があるのかも知れないとも思った。
しかし、親族で、事前に体調が悪い連絡は貰っていて、敏感な彼女が、その情報を元に、不吉な予測の夢を見て、その時期が、偶然に、現実と重なったと言うようなことなのだろう、とも考えていた。彼女自身は、自分のように、超常現象話を、頭ごなしに否定する考えを持っている訳ではなかったが、ただ自身の身に起きる予知夢とも思えるような出来事とか、それを引き起こす自らの異能の可能性などは、内心、凄く気味悪がっていて、そんな話を、積極的に自ら話すようなことはなかった。
しかし、彼女が、その日見たと言う予知夢とも取れる夢は、更に気味が悪い話だった。彼女が、聞かれても、とにかく口が重いのは、仕方がないとも感じた。それは、長男の同級生の父親が出てくる夢だった。その長男の同級生と言うのは、同じ小学校だが、自分たちの住む大規模な建売り住宅の分譲地の住民の子どもではなくて、地元の兼業農家の子どもで、女の子だった。
だいたい、首都圏近郊の地元の農家と言うのは、新興住宅地の住民より豊かで、その後継ぎ息子も、農業には携わらず、会社員が多い。その同級生の父親なども、都内方面に勤める会社員だった。ただ、妻の知り合いは、当然、母親の方だ。
妻は、学生時代に運動部の部長をやっていたような、自分とは、似ても似つかない性格で、姉御肌のようなしゃしゃり出るタイプではないが、頼まれると断れない、仕切り役も厭わない女性だ。それなので、長男が小学一年の時にも、いきなり父母会で皆に推されてしまうと、断ることも出来ずに、ＰＴＡの学級委員長になってしまっていた。
ただ、その当時、我が家は、引っ越しできて一年ちょっとで、さすがに、自分よりは交際上手な妻でも、人脈はあまりなかった。すると、その学校のＰＴＡでは、学級ごとに、親子で集まる親睦会を開く習わしがあり、屋外などで、何か催しをしなければならない。そんな時に、妻を助けてくれたのが、やはり同じ学級のＰＴＡの役員を、妻とともにしていた同級生の母親だったと言う。
彼女は、地元の農家に、他所から嫁いで来たのだったが、夫は、もちろん地元育ちで、町役場にも顔見知りが多く、催しの助力が貰える口利きが出来るとの事だった。催しの場所とか、催しに使う用具などの町からの借り出しについて、その母親を通して、父親に仲介をお願いしたと言うことは、妻から聞いて知っていた。だから自分は、妻は、てっきりその父親とも、顔見知りなのだろうと思っていた。
その朝の妻の見た夢について、彼女が重い口で語るには、妻は、その同級生の父親を知らないのだ、と。父親は、口利きをしたと言っても、用具の貸し出しをした役場の職員でもないし、普通の会社員だから、平日の授業時間内に、担任教師も参加して行われた催しなどには、参加出来る筈もない。しかも、前後の口利きの打ち合わせや挨拶も、すべて母親を通して行っているから、父親とは、会ったこともなければ、電話で話したことすら無いから、顔も声もまったく知らない。
その後は、学級も変わるし、男でやんちゃな長男と、女の子の同級生は、疎遠になるばかりだし、当然、母親同士も、顔見知りなだけで、交流は無くなっていた。妻が、その同級生の父親もまったく知らないままなのは、自然なことだった。
ところが、夢に出てきたその同級生の父親は、知らない人なのに、何故か、その子の父親だと、妻には分かっていて、挨拶をして、他愛もない世間話もしたと言う。夢を見ながらも、その不自然を、強く感じながら。自分などは、夢を見ていると浅い意識で気付いていても、目覚めると、すっかり夢を忘れてしまう。どうしても、確かに夢を見ていたと分かっているのだが、内容が思い出せない。だが、妻は、それを、いつもはっきりと覚えているらしい。
だから、その日、目覚めた後、その夢を思い返して、知らない筈の人が、何度か経験してきた予知を疑う不気味な夢と似た様子で、夢に現れたごとに、言いようの無い不気味な不安を感じたと言うのだった。自分も、そこまで話を聞くと、少し、背筋が寒くなったことを覚えている。
ただ、自分は、そこからは、忙しなく出勤して、日常のあれこれとした仕事になり、いつも通り、疲労困憊して、自宅に辿り着いた頃には、朝の話など、すっかり忘れていた。しかし、妻は、朝にも増して、蒼ざめた顔つきで、出迎えた。着替えが終わり、一人遅い食事をとり始めると、相伴した妻が、低い口調で、その日にあった出来事を語り始めた。
何でも、朝、夢に見た、長男の同級生の父親が亡くなったのだと言う。もちろん、顔も知らないままだが。後々聞いた話だが、自分よりは、通勤先は近くて、自分よりも遅い通勤電車に乗っていたと言う。車内で、耐えられないほど気分が悪くなったらしく、途中駅で、降りたらしい。そして、そのまま気を失い、発見されて、救急搬送されたが、ほどなく亡くなってしまったと言うのだ。くも膜下出血だったと記憶している。まさか…
妻は、母親とは、知った仲だし、翌日の通夜に参列するつもりだと言った。顔色は、蒼ざめたままだ。いつにない、生気のない声。自分は、改めて、背筋が、凍る思いがした。翌朝、また、いつも通りの出勤だったが、短く、通夜に行くのかと、改めて尋ねた記憶がある。妻はと言うと、顔を曇らせていて、低い声で、行くよ、と答えた。
もちろん、その日の仕事も忙しく働いて、そんなことは、思い返すことはなかった。しかし、帰りの電車では、さすがに、その前日からの話の不気味さを、思い返していた。玄関を開けると、妻と目が合った。直ぐには、話さなかったと思う。まさか、ね… しかし、ふとした瞬間に、妻は、呟くように話し始めた。
「さっき、○○さんの家に、通夜に行ってきたんだけど…」少し、軽く息をついたと思う。「…蔡檀のご主人の写真、やっぱり昨日の夢に出てきた、あの人、だったよ。」途切れ、途切れに話したと思う。「…何でなんだろう。一度も会ったことも見たことも無い、人、だったんだけどね…」妻の顔は、やはり、すっかり蒼ざめているようだった。
自分は、このことを、はっきりと記憶しているのだが。どんなに、考えても、自分なりの説明つけることが、出来ないままだ…
