嬉しいも、怒りも
悲しいも、楽しいも
みんな、それぞれにあって
それが、生まれていたから
きっと
それが、ものごころに
になっていたのだと思う
でも、その喜怒哀楽が
行動となって
暴走してしまえば
親たち、大人たちに
きっと、叱られて
行動は、縛られたのだろう
いや、想いごと
縛られたのだろう
そして、やがて
子ども同士の
社会にも、入ると
お互いの喜怒哀楽
感情は、ぶつかり合って
行動になって
更に、ぶつかり合って
いたのには、違いない
そんな時は
親しみ合った
喜びや楽しみも
あったかも知れないけど
打ち負かしたり
叩きのめされたりの
どす黒い喜びや、楽しみ
いや、闇に堕とされた
怒りや悲しみも
あったのに違いない
そうして、おとなたちとの
或いは子ども同士の
その関係の中で
行動を、縛り、縛られ
想いを、縛り、縛られ
いや、まず
自らの行動を引き起こす
自らの想いを、強く縛って
生きてきたのだろう
自分も、間違いなく
そうして、生きてきたのだ
でも、自分には
いつも、縛り切れない
思いが、鬱々とあって
そうして、その想いが
あらゆる人々、社会に
馴染むことが、出来ない
いつまで、経っても出来ない
いや、しようとしない
すること拒んで
この今が、あって
この社会から
落ちこぼれた自分
いや、多分
自ら、落ちこぼした
そんな自分は
行動を、解き放つ想いなど
もう一欠片もないけど
こうして、こんな風に
想いを、解き放つ事を
覚えることが、出来て
そうだ、もう
自分は
想いを、縛る事はない