結構、貧乏
父さんは、小学校の教師で
体面は、先生で
一見、まあまあだけど
昭和30年代の
公務員の給料なんて
雀の涙
おまけに
重い結核の
叔父さんの病院代だって
父さんが、払う
母さんは
おまえは、まあ
成績は,まあまあだから
先生になりなさいって、言う
なる訳ないじゃん
だいたい、父さんは
家族を、満足に
旅行にだって
連れてけないんだぜ
自分の街は
海軍火薬廠からの
工業の街なんだ
だから、友だちの
父さんたちは
結構、工場で
働いているんだ
だから、みんな
夏休みや冬休みは
遠い、父さんや母さんの実家
夏休み中、帰れるんだ
四国だとか
九州だとか
東北だとか
大阪の子だって、いる
自分は、と言えば
母さんの実家の
親戚は、市内だけ
父さんの親戚も
県内だけ
だから、海辺の
実家の我が家は
親戚の、避暑地に
なっちゃったりする
勘弁してよ
随分、年上の
お姉さんたちが
遊びに来て
何か、気を遣うばっかりだよ
本当、勘弁してよ
同級生で
夏休みに
どこにも行けない子なんて
ぼくだけだよ
…だったな、自分は
でも、脚の悪い
今の自分は
もう、何処に
行かなくも
大丈夫だな…