それを、信じるとか
信じないとか
反証すること
猜疑心とも言うのか
自分は、多分
そんな、幼な子で
そんな子どもで
そんな少年になって
そのまま、おとなに
なったのだと思う
これが正しいとか
これが間違っているとか
おとなに、言われれば
いつも、そうも思うし
なんなら、そのまま
熱狂することだって
無くは、無かった
でも、ふとした瞬間
その呪縛は
さっと、解けて
反証している
そんな自分がいた
そんな自分は
あれこれ、惑い悩み
結局、全否定する
そこまで、反証を
止めることはない
善は、悪になり
悪は、善になる
信は、不信になる
でも、不信に行き着けば
すべては、不信に帰結して
善は、悪のままで
善になった悪は
また悪に、戻るのだ
その時には
不信になった信の
不信と
信になることのない
不信のまま不信は
融合しで、肥大して
自分のこころの
すべてを、埋め尽くしていた
ただの不信
猜疑心の塊
その塊に過ぎない自分は
もちろん信じることなど
あるはずもなく
ただ疑い続けて
その疑いの果てに
灼け尽きて
微かに残った
灰の灼け残りを
空っぽのこころで
でも反証しながら
味わうことなく
噛み締めながら
生きてきた
そんな気が、している…