まだ、フルタイムで働いていた三年前。接客業でも、立ち仕事なので、昔の右脚下腿の大怪我による後遺症が原因らしい、膝関節痛が、酷くなるばかりだった。休みの日に、夫婦でお出掛けした帰り道、駅から駐車場所迄の、僅かな距離を歩いていた。すると、突然、仕事中にも時々あった痙攣と痛みが、右膝、右脚に来てしまった。
妻に追いつけず、必死に歩こうと足掻いた。どすんっ!いきなり、その場に座り込むように、倒れてしまった。勢いで、仰向けにもなり、頭を少し打った。妻も唖然としている。あっ、もう、これは駄目だ。
と、そう思ったのが、秋口。しかし、日頃、滅多に医者に行かない自分は、なかなか腰が上がらない。そこから、仕事中でも、休みの外出時にも、何度か同じ経験をして、やっと、受診の決断をした。
既に、十年以上も前に、右膝痛が酷くなり、地域の拠点病院に受診して、膝関節症の診断を受けていた。大怪我の影響で、右脚踝関節の曲がりが悪く、障害は無かったが、歩行時の左右のバランスは、悪かったのだろう。そこに、極度の不摂生による中年太りが、災いしていたようだ。右膝関節が、そうして、軟骨を失い始めたところに、休業期間中の、減量の為に、徹底して、歩き、ついには、走ってしまった。特に、走りが良くなかったのだと思う。
新たな仕事を得て、また働き始めたが、以前と同じような我慢を強いられる顧客管理の仕事で、うんざりしてしまった。そこから、人生の迷走が始まった。何をとち狂ったか、中高年も受け入れるタレントスクールに通うことに、日常の救いを求めた。事務所とも契約して、少し、映像にも出られるチャンスもある。
もう、定職は辞めて、フリーターに転向。スクールに通いながら。しばらくして、講師の大先生の芸能生活○十周年の記念の舞台に、応募することに。一応、採用されたのは、良かったのだが。
この大先生、某最老舗テレビ局の演出畑の大御所だった方で、しかも、元は、今は無き老舗大劇場の舞台監督だった。だから、レビューにことのほか、拘りがある。それで、その舞台が、何とミュージカル。レビュー要素の。もちろん、出演者の殆どは、スクール生で、まあ贔屓目に言って、インディーズのレベルではあるが。ただ、若い。高校生から、三十代前半迄が、殆ど。中年以上は、自分が誘った一握りだけ。もちろん、最高齢は、アラフィフの自分。大先生を除いて、支える講師他のスタッフを入れても。その状況で稽古となった。そして、ミュージカルだから、歌はともかく、踊りも!
自分の子どもたちのような若者に混じって、ダンススタジオで、トレーニングをする羽目に。自分は、子どもの頃のフォークダンス。それも、女子の手を握るのが恥ずかしくて。おずおずと踊った、そんな経験しか、無いんだけど!
プロの舞台の演出経験のある、大先生のスタッフの、少し年下だが、怖〜いっ女性の講師。その先生の開講しているダンススタジオを使わして貰って、鍛えられた。いや、今更、中年のど素人のオヤジが、鍛えられようも無いが。先生は、とっても親身に、しかも、厳しく、厳しく、ひたすら厳しく。鍛えようとは、して下さった。でも…
そのレッスン中の事ではない。ただ、脚を酷使して、しかも飛んだり跳ねたりで、激しく着地することもあるから。膝の痛みは、どんどん酷くなっていった。たまたま、出演した再現ドラマのエキストラ的な仕事で、電車のロケ。移動中の駅の階段で、ギクッ!歩くのも辛い。レッスンは、頻繁にあるし、やがて、本格的な稽古も始まる。一応、役は貰っていて、穴埋め出来る代わりは、いない。もう、病院に行くしかない。
そして、受診、治療だったのだが。この拠点病院、とにかく混む。皆、大病院に行きたいのは、やまやまだろうし、仕方が無いが。まるで、丸一日の通院になる。もう、連日の稽古が始まると言う時点で、通院は、止めてしまった。所詮、湿布薬と鎮痛剤を貰っていただけだ。類似の市販薬を、代用すれば良い。
そして、そのまま、市販薬で、長年。何とか、耐えてきたが。今度は、地元の整形主体の病院にした。拠点病院とは、規模は、比べるべくも無いが、整形外科は、それなりの評判はある。何より、この高齢者になると、クルマで五分も掛からない通院し易さが、救かる。そこから、膝関節注射治療に始まり、あちこちガタが来ていたから、すっかり入院や、通院になってしまった。
その最初の受診の頃だったが、ふとネットのマップに、書き込みを、始めた。書き始めると、止まらなくなる鬱陶しい長文で。ただ、それでも、アクセスは、結構貰えて、多少、良いね、も貰える。そうすると、何か、ステージがあって、段々上がって行く。どんどんと張り合いが出て来て、入院や自宅療養中の長い暇な時間を、徹底して書き込みをしていた。病院は、駄目だと思っていたが、スマホを持ち込めた。だから、ますます、加速して行った。しかし、退院して、暫くすると、コメントなどでは無く、あれこれ、それなりの文章を書きたくなった。何か、あまり、実りの無かった自分の人生。少しでも、爪痕を残したいな、と。まあ、取り敢えずの読者は、妻くらいしかいないのだが。
アイフォンのページスを、使って。日記を。やがて、日記以外にも、自分の過去語りを、物語風に。すると、マップのコメント書き込みは卒業して。そんな書き物に嵌まって行った。しかし、何だか、物足りない。不特定多数の方々にも、読んで貰えないだろうか、と。今や、立派な高齢者の引きこもりなのに。双極性障害的な、時折り、自己顕示を求める矛盾を、拗らせ始めた。あの映像や、舞台に出ようと言う躁人格の為せる業なのだろう。それで、ブログのような、文章を発表出来る場を考えた。しかし、スマホを、迷惑着信防止で徹底していたせいか、上手く登録出来ない。ページスに書いている、結構膨大な文章の公開の道も探ったが、よく分からない。他人に教えを請う積極性もない。だから、ひたすら、書いて、書いて、書いていた。
それが、室内自転車などのネットショッピングをする過程で、着信拒否設定を、緩和した。しばらくして、また、人目に、自分の書き物を晒したい欲望が、沸き上がってきた。すると、何とか、このgooブログに、登録出来た。やってみると、多少、読んでも頂けるようだし、コメントも頂いたりした。正直、多くのこのサイトの利用者の、このブログに対する考え方と、自分は、ズレているとも思う。思いのままに、文章を書き綴りたいと言う欲望に、まず忠実だから、どう努力しても、長文になってしまう。今日も、日記として、簡単に書き終わるつもりが、湧き上がるイメージに追われて、こんな長文になってしまっている。このブログサイトで、この鬱陶しい長文を書き込むのは、そぐわないような気もする。ただ、お気に召さない方には、読み捨てて頂いて。端っこにでも、気を止めた頂いた方には、拾い読みして頂いてと、思っている。悪く思われても受け入れられるし、少しでも需要があれば、書き続けたい。