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日記、日々の想い 

東寺講堂、立体曼陀羅



 何か、一番好きなお寺になりましたね。高校の修学旅行の時でした。まず、講堂に、入った瞬間です。幽玄な、とでも表現するしかないような。そんな空間が、現れます。照明は、無かったと思います。限られた外光に浮かび上がる世界は、かえって、深遠さを、強く感じさせます。

 薄暗い堂内には、様々な仏像が、闇に沈んでいます。歩を進めると、次々、代わる代わるに、仏像たちが、浮かび上がってきます。

 まるで、宇宙に、抱かれているような気持ちになりました。いや、宇宙だったのでしょう。同級生たちも、日頃になく、息を潜めて、拝観していました。自分は、その後に、何度か、訪れました。忘れられませんでした。 

 中央に鎮座するのは、大日如来です。天道説の世界ですね。世界の中心には、太陽。その四方は、やはり、究極の仏様の、四体の如来。向かって右手には、金剛波羅滅多菩薩を中心に、四方に、四体の菩薩が配されます。左手には、不動明王を中心に、やはり、四方に、四体の明王が配されます。これは、同じ位置にある仏様は、それぞれが、一つの仏様で、それぞれ別の顔があると言うような事らしいです。例えば、大日如来が、菩薩としては、金剛波羅滅多に、変化する。明王としては、お不動様になると言うような感じです。お不動様は、あちこちのお寺で、随分偉そうにしてますが、究極の仏様、大日如来の変化した姿とあれば、仕方がないですね。

 外周には、六支天です。上の写真は、国博の平成館で、東寺展が開催された時に、唯一撮影OKだった帝釈天です。ただ、本来は、十二支天ですから、立体曼陀羅にも、欠けているお像もあるようです。十二と言うことは、十二支と対応する意味もあるのでしょう。天体の運行、時の暦、まさに宇宙ですね。

 自分のような浅〜いっ無神論信者が、仏様で、宇宙を感じるとは、おかしな話ですが。でも、このお堂の空間、闇に浮かび上がってくる様々な仏様が体現する世界は、宇宙としか、表現しようがありませんでした。まあ、もう少し、俗っぽく観て、様々な仏様が、どんな位置づけで、この仏様の世界、宇宙に存在しているのかを、体感的に知ることが出来るのです。ちょっと、ワンダーランド的で、楽しくもありました。かなりの方は、とっくに訪れている場所とは思いますが、初めてでも、改めてでも、お勧めの場所です。

 あっ、これは、地元です。隣街、空港の街の例の大寺院です。初詣のお寺です。参道では、鰻の蒲焼きです。そして、お不動様です。更に、高野山、神護寺、東寺のお大師様の宗派です。朝廷に反旗を翻した平将門を鎮撫する為に、朝廷に下命を受けた本山の神護寺の偉いお坊さんが下って、調伏した場所が、お寺の起こりとされています。今と、ちょっと違う場所みたいですけど。いずれにしろ、それで、このお寺は、この宗派の東国の拠点となった訳です。

 色んな、お堂がありますね。

 このお堂は、本堂からちょっと上ったお寺の裏山の頂上のような場所にあります。確か、大日堂と言って、高野山に倣った新しいお堂です。やはり、新しいお像ばかりですが、内部に、立体曼陀羅が、再現されています。有り難くもあり、楽しくもあります。この空港の街の大寺院も、増えていた外人観光客が、消えて大変だろうなと思っています。自分も、最近、さっぱり行ってませんが。コロナ禍が収まったら、訪れて頂くと嬉しいですね。


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