ただ、それ以前に、自分は、この緊急事態宣言の発出自体には、むしろ、あまり必要性を感じていなかった。それどころか、最初に大阪や札幌が、蔓延状態になって、飲食業者に、時短営業要請を出したことなども、飲食業者いじめにしか見えなくて、冷ややかに見ていた。だから、例えば、都知事が、政府からの飲食店に対する21時迄の内々の時短要請を、当初蹴ったらしい話も理解出来た。自分は、現在、飲食店での会食もまったくしないし、したいとも思っていない。ただ、したい人は、感染症対策をある程度すれば、すれば良いと思っていた。また、飲食業者も、感染症対策をして、自己責任で営業をすれば良いと思っていた。もう、会食が、感染の大きな原因だと言うことは、世の中に十分に喧伝されているのだから、怖いと思う自分のような人間は行かなければ良いし、我慢出来ない人が、行くのも自由だ、と。コロナ禍は、結局、簡単に収まることはなく、個人個人が、自己責任で、生き延びるしかないのだろうと思っていた。行政に、そんなに期待もしていないし、必要以上に規制もされたくもないからだ。
しかし、緊急事態宣言が発出してみると、結構、感染者が減っていった。やはり、世の中、そんな捨てたものでもなく、結構、行政に忠実な人も多いのだなと、感心した。自分は、行政から、必要以上に規制されたいとは思っていないが、反発して規制を破ることなどもしない。行政の規制が、自分には鬱陶しい場合もあっても、世間一般の要請には、かなっているのだろうとも思っているからだ。だから、一部の何事も我慢出来ない人々を除いて、皆が自粛しているのだろうことは分かったし、こんな緩い規制措置でも、自粛出来る人々は、民度が高いとも思った。
しかし、改めて、ますます中途半端な二週間の延長措置が、実施されることには、疑問があることも事実だ。正直、年金生活者になって、必要以上の他人との交流も望んでいない自分には、どうでも良いことなのだが。多分、一番気になるのは、専門家も心配する変異種が、二週間の間に本格的な蔓延を始めたら、宣言を解除する時機を失するのではないか、と言うことだ。まさか、どんどんと感染者が増えている状況で、宣言を解除は出来ないだろう。もう、この感染症とどうやったら、共生出来るのかと言うことを考えた方が良いのでは、と思っている。極論すれば、当初からあった意見のように、社会的な規制は極力しないこととして、集団免疫を目指すと言うこともありだと思っている。このウイルス感染症が、ただの風邪だとは思わないが、かと言って、直ぐに人類を絶滅させかねないほどの致死率も、感染力もある訳ではない。もちろん、長い期間で考えれば、どうなるのかは分からないが。それと、日本の蔓延状況が、致死率も含めて、世界的みれば、危機的でもないことも事実だ。だから、なるべく日常生活を維持しながら、感染症に対応出来る仕組み、或いは、個々の行動様式を確立させることが、重要なのではないかと思っている。そして、それは、ある程度は、既に出来てきているのかも知れないとも。マスコミなどが、一部の我慢出来ない人々を殊更に取り上げて、危機を煽り過ぎるのも、疑問だ。多くの人々が、感染症対策をし、行動の自粛をしているから、欧米ほどの蔓延状況になっていない可能性が高いのではないか。飲食店の感染症対策の仕様を強化するとか、そんな具体的な施策を進めて貰う。ワクチン接種の迅速な施行も努力して貰う。当然、収まる保障は無いが、時々危機的になれば、時々緊急事態宣言と言わず、社会的な規制を掛ける。そんな感じで、乗り切るしかないのでは。もう、たいした強制力もない緊急事態宣言などを発出し続けても、皆、慣れと惰性で、効果は落ちていくだけで、社会の活力だけは、確実に失われていくだけのように思う。年金生活者の自分の現状は、こんな時代には、比較的恵まれていて、自粛など、別に苦にはならない。また、お互いに身近な人間にだけは、感染症対策の厳しい要求はしていくと思う。この感染症禍で、まだ、確実な先行きが見えていない以上、今は、感染したくないから。いずれは、感染するかも知れないと言う覚悟はあるが。ただ、社会的には、もう一律の規制は、出来るだけ避けて、個々が自己責任で行動して、自分の生活を守る権利は行使出来るようにするべきだと思う。