大きく、みずうみを
曲がって行くと
また、ひたすらな
直線路になった
アップダウンも
なくなったから
また、全速力だ
でも、サイクリングロードは
ただ、真っ直ぐで
どこまで、行くんだろう
そして、みずうみの対岸は
どんどん、迫ってきて
やがて、広い川のように
なっていった
いや、もう川だろう
西の沼の
きっと、果てまで
来ているんだろうけど
サイクリングロードは
まだ、続いて行く
どこへ、行くんだろうか
全然、分かってない
曲がって行くと
また、ひたすらな
直線路になった
アップダウンも
なくなったから
また、全速力だ
でも、サイクリングロードは
ただ、真っ直ぐで
どこまで、行くんだろう
そして、みずうみの対岸は
どんどん、迫ってきて
やがて、広い川のように
なっていった
いや、もう川だろう
西の沼の
きっと、果てまで
来ているんだろうけど
サイクリングロードは
まだ、続いて行く
どこへ、行くんだろうか
全然、分かってない
調べてないから
当たり前だけどね
まあ、でも
風車小屋の公園からは
まあ、でも
風車小屋の公園からは
サイクリングロードの終点は
7、8kmのはずだから
今の速度で、走っていれば
30分は、掛からない筈だ
みずうみの対岸は
更に、迫ってきた
いや、だから
もう、川になってるな
みずうみから
流れ出ているのか
流れ込んでいくのか
7、8kmのはずだから
今の速度で、走っていれば
30分は、掛からない筈だ
みずうみの対岸は
更に、迫ってきた
いや、だから
もう、川になってるな
みずうみから
流れ出ているのか
流れ込んでいくのか
平地を、流れている川だから
あんまり、流れが見えなくて
良く分からないけど
確かに、川には違いない
かなり、川幅はある
でも、どっちへ
流れているのかなんて
まったく、気にしない
いや、気にも出来なかった
やっぱり、もう
なんか、必死だった
だって、終点
近そうだよね
あっ、あの橋❗️
大きな橋が
良く分からないけど
確かに、川には違いない
かなり、川幅はある
でも、どっちへ
流れているのかなんて
まったく、気にしない
いや、気にも出来なかった
やっぱり、もう
なんか、必死だった
だって、終点
近そうだよね
あっ、あの橋❗️
大きな橋が
前方に、見えて来た
良く見ると、車が
良く見ると、車が
頻繁に、行き交っているみたいだ
なんか、あの橋が
終点っぽいな
だったら、もう一息だ
さあ、もっと頑張れ❗️
風車小屋のある公園で
少し、給水しただけだ
そんなに、休まなかった
それで、25kmだ
折り返して、50kmだ
なんか、あの橋が
終点っぽいな
だったら、もう一息だ
さあ、もっと頑張れ❗️
風車小屋のある公園で
少し、給水しただけだ
そんなに、休まなかった
それで、25kmだ
折り返して、50kmだ
まだ、出発から
2時間は、経ってない
威張れる、ちょっとした
サイクリングだよね、これ
さあ、いよいよ
さあ、いよいよ
橋だ❗️
橋が、近づいて来たぞ‼️
to be continued
橋が、近づいて来たぞ‼️
to be continued
今日の当地は、引き続き晴天ですね。抜けるような、雲一つない秋らしい蒼空に、なりました。最低気温は、晴れていましたから、放射冷却があったのでしょう。空港の観測値で、9.0℃と、ここ数日では、いちばん低かったですね。ただ、やはり、陽光燦燦ですから。気温は、ぐんぐん上がりました。最高気温予測は、19℃でしたが。午前10時代で、上回っていました。もう少し、高くなりそうです。いずれにしろ、少し冷気を孕みながらも、爽やかな日和で、引き続き、素晴らしい秋の一日に、なりそうですね。
これだけ、天気が良いと、やはり少し、こころは、動きますが。それでも、結局、脚が思うようにならないことの諦めなのでしょうか。取り残されているような焦燥感は、まったくありません。強がりではなく、こころ穏やかです。でも、脚がもっと動いた頃には、唯一の相棒の妻がいなくても。ひとり、自転車なり、歩きなりで。近くにあるサイクリングロードや、巨大な県立公園へと、飛び出していたと思います。
まったく、明確な引きこもり性向の癖に、面倒くさいやつですね。自分は。ただ、引きこもりだと言っても、本当には、家でごろごろしているのが、好きだった訳じゃない。人の群れに混じる事が苦手なだけなんですね。だから、こんな秋の素晴らしく晴れた日には。陽光に、或いは、その陽光に光り輝く大自然に、抱かれたいと言う願望は、あるのです。ひとりだけで。或いは、家族なり、愛犬なり、馴染み切った仲間とは、気持ちは、分かち合えます。むしろ、喜びは、深くなります。
そして、高校生迄と、会社勤めをしていた頃には、大人数の集まりや旅行などにも、ちゃんと、参加していました。今以上に、同調性圧力の強い時代でしたからね。それで、その行った先では、それなりに楽しい思いもしていました。今現在は、年金生活者で、同調性圧力も、殆どありませんから。もう、すっかり。引きこもりを拗らせていますけどね。
ただ、別にそうなれば良いなどとは、思いませんが。自分のような、境界型の引きこもりとも言える人間には、あの社会集団の半強制。強い同調性圧力が、社会との関わりを持てる、保てる要因にはなったと、思います。確かに、不愉快なこともありましたが。楽しいことも多かったのは、事実です。現代日本も、同調性圧力社会とは、言われますが。その圧力が、人権や自由の名の下に、抑制されている事も、また確かですね。自分のような、境界型の引きこもり人間が、いたとすれば。社会と関わる事が、より難しくなったとも思えます。人権や自由への、意識の深化の負の側面とも、思えますね。難しいです。