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日記、日々の想い 

子犬のトラウマ、父と自分と(再構成の,再投稿です)

 子どもの自分は、拾ってきた子犬を、父に「捨ててきなさい。」と言われた。子どもの自分は、ただ無力で、その子を捨てた。拾って来たのに、何も出来ない自分が、ただ悪かった。ただ、それだけだ。
 幼稚で、しかも、末っ子で、放任されていて、ひたすら甘やかされていた自分。学校では、身体が弱い上に、結構な人見知りで、色々と苦労はした。でも、家では、我が儘放題で、甘やかされる自分が気に入らない兄以外には、狡猾に覚えた媚態を使えば、何でも自分の思い通りになると、思い込んでいた。のかも知れない。今は、そんなだった幼かった自分は、ただただ苦過ぎる思い出でしかない。
 父も、たいがい自分を甘かしていて、でも我が儘で、しかも身体もひ弱な末っ子に、一抹の不安を、感じていたのかも知れない。だから、機会を選んで、厳しく接することもしなければいけない。そんな風に、思っていたのかな、と、大人になった自分は、思えるように、なった。
 でも、きっと、欠点だらけでも、何とか、大人になれた自分は、父のように、あんな機会を選んで、子どもを、導こうなどと、思うことなど、決してない。もちろん、だから、父がどうだとか、言うつもりはない。結局、親の父がどんなで、子どもの自分が、どんなであっても、子どもは、親を、どんな風にでも、乗り越えて行くしかない。そんな風に、自分は、思っているから。
 父は、亡くなった時は、県教委の地方事務所の教育主事だった。教員として、ある程度の出世コースに乗れたと言うことだ。その後、現場に戻って、教頭となり、問題が無ければ、校長になれたのだろう。まあ、もう少し頑張ると、田舎町の教育長、そんな父の上司もいた。地方の政治家になる人もいるが、それは、個人の資質。図々しさの足りない父には、無理だったと思う。
 とにかく、校長くらいになってくれれば、家族として、自分のような不肖の息子でも、色々、多少の恩恵に預かれたのかな、とふざけたことを、考えたりしたこともあった。
 何しろ、父は、県教委に転出して、僅か四ヶ月も経たずに、急性心不全で、急逝してしまった。その頃には、そんな言い方は無かったが、突然死と言えたと思う。
 父は、その前の教員時代に、戦後始まったばかりの科目だった「道徳」の研究指定校になった勤務先で、研究主任の業務を、仰せつかった。その時の、過剰に一人で仕事を抱え込んだ無理。教育主事に昇進したあとの、学校巡回時の接待漬けで、飲めない酒を無理矢理飲まされたこと。そのことが原因だと、母は悔やんで、言っていた。
 公立学校が、県の役人を接待をすると言う、官官接待の呆れた話だ。しかし、こんな話は、接待を当然の儀礼としていた昭和3,40年代には、当たり前に横行していたのだろう。ましてや、地方の小役人レベルでは、とやかくされる話ではなかったに違いない。しかし、下戸の父は、母に、無用な接待の愚痴を、こぼしていたのだと言う。間違いなく、身体のダメージになってしまったようだ。やむを得ず、接待を受けていたのだと思う。
 父が、亡くなった年齢は、46才だった。その時点で、子どもたちは、まだ誰も成人していなかった。長子の兄が、一浪して、大学の一年生だったが、まだ未成年。姉が、高三で、自分は、中三だった。決して、幼かった訳ではないが、まだ誰も働いてはいない。経済的、精神的支柱を失った母をはじめとした家族の衝撃は、大きかった。
 とにかく、突然だったのだ。少し前に、動悸の自覚症状があったらしく、地元の個人病院を受診していた。心筋梗塞が発覚して、発作防止の為に、数錠の強心剤のニトログリセリンを、処方されていた。仕事は、一日も休まなかった。亡くなった朝に、一度大きな発作を起こしたが、ニトロで、収めたらしかった。
 しかし、それで、ニトロが、尽きた。初めて仕事を休み、通院する予定だった。夏休みの受験対策の全員補習の登校前に、好きな庭いじりをする下着だけの父の後ろ姿が、自分の目にした最後の生きている父の姿だった。
 子どもたちが登校したあと、再度大きな発作があって、父は、亡くなった。母が、父に依頼されて、自転車で、ニトロを病院に貰いに行く間に、誰にも看取られずに、父は亡くなったのだ。急性心不全だが、激痛の後には、気を失うので、死に顔は、安らかな寝顔だった。それが、救いだった。
 余りにも、呆気なかった。現代に高齢者として生きる自分が振り返ると、何故死ななければならなかったのか、良く分からない。そんな発作をくぐり抜けて、何十年も寿命を伸ばした人は、何人も知っている。父本人も、母も、医者も、やることなすこと余りにも、拙な過ぎた。
 しかし、この突然過ぎた父の死は、家族にとっては、父を、否定出来ない絶対的な存在として、こころに焼き付けることになった。数多くの上司、同僚、後輩、教え子、友人知己、親族にとっても。
 出世の途上についたばかりの、突然の死。妻と、成人していない子どもたち三人を遺して。良くあることだが、寿命を残して亡くなる悲劇性は、故人の美点だけを、人々に刻む印象とする。そして、批判をすることが、憚られたりする。
 母、兄、姉が、父を語れば、崇敬の念だけになる。周囲の人々は、必ず同意してくれるし、そうでなくても、表面は、合わせてくれる。自分も、当初は、そうだったと思う。自分のおぼつかない未来を、救けてくれた大きな存在だったことは間違いなく、その衝撃と残された不安が、失った父を、絶対的な存在と、変えていたように思う。
 しかし、自分のまるで洗脳されたかのような期間は、短かった。父が、亡くなる前から、父と微妙な軋轢を抱え始めていた。思春期に入った男子らしく、父親を、潜在的な競合相手と考えるようになっていたのかも知れない。父が、自分の後継ぎとして、支配的に接していて、父に圧しひしがれていた兄と、末子として、放任されていた自分とは、父との関係は、まったく異質だったように思う。
 兄は、結局のところ、父に言い諾々と従わされるばかりだった。そのままで、父は、人生を終えた。そして、その父との関係性は、兄に、刻まれたままだったと思う。兄は、父の死後、母を支え、家長として、我儘な弟の自分と対峙する重い存在になったが、自分が、父の代わりにならなければならない、いや、絶対になれないと言う狭間で、悩み苦しんでいたのかも知れない。
 一方、自分は、抑えつけようとする兄の背後に、父の残影を感じていたように思う。そして、おとことして、自立していく過程で、兄は乗り越えなければならない存在になり、その背後の父の残影も、克服しなければならないものとなっていた。
 家族、周囲の人々が、絶対的な善として、父を敬おうとする姿勢に、自分は、強く反発する様になっていったのだ。そう思う自分が、恐怖でもあった。もし、父が生きていれば、この兄との相克は、父との相克だった筈だ。自分は、捨てられて、家を出なければならなかったように思えた。父は、そんな立派な人じゃない。冷酷で、教条的な、上辺だけの道徳感に支配された人だったのではないか。自分は、そんな風に思う時、常に、あの子犬を、思い出していたのかも知れない。
 父は、自分なら、直ぐに乗り越えられる、つまらない人間のように思えた。あんたは、生命の大切さとか、偉そうに自分に言ったよな。道徳教育の研究主任らしいありきたりなごたくとして。幼い子どもが、周囲を思いやらない我儘さを、身につけようとしている。その危うさを、自分に対して、感じたのかも知れない。自分のしでかした事の責任は、自分で取らせなければ分からない、と。
 自分も、薄々、父の人格の酷薄な非情さ、時として暴発する隠されたヒステリックな狂気に、気づいていたのだと思う。そんな時の父は、優しい小学校教師とは程遠い、感情の飛んだ突き放す目をした。子どもの自分に、直ぐ分かるくらいに。
 残念な事に、その隠された狂気は、兄妹で、自分にもっとも良く、或いは、増幅されて引き継がれたのだろう。ただ、その事には、自分は、父よりは、自覚的に生きてきた。だから、子どもに、拾ってきた子犬を、捨ててこいと言うような非道な事を言いそうになる自分を、抑えてこれたとは、思っている。父より立派な父親だったとは、思わないが。
 自分にとって、あの子犬を捨ててきた残酷な思い出は、今も苦味を伴って、甦る。しかし、それは、遠く実感を伴わない、セピア色の古ぼけた写真のようだ。自分は、今でも、こうして、父を批判的に書くが、その感情は、既に熱を伴わない。遠い記憶。父を、とっくに乗り越えたのだろう。もちろん、それは、父を見下ろせる人間になれたことを、意味しない。父を、客観的に評価出来る程には、対等な大人になれたと言うことだと思っている。

追伸 再構成前の文章も、読んで頂いた方は、繰り返しで、申し訳ありません。ただ、自分にとっては、未だに、ふと思い出す出来事で、思わず再投稿してしまいました。ただ、より正確に、記憶、思いを辿り直して、少し変えてあります。

* ふむふむ…ちょっと、汚れ過ぎ!触らないでください‼︎

コメント一覧

takey813
@kaminaribiko2 コメント、有難う御座います。そう言って頂けると、自分も、むしろ、気が楽です。
kaminaribiko2
こんばんは

私は特にお父様に道徳心が欠けていたというわけではなく、あの当時、人間も自分の子供を食べさせるのに必死な世情だったから、仕方なかったと思います。お父様も、おそらく、心を鬼にして子犬を捨てさせたのでしょう。そう考えれば、お父様もお気の毒だったかもしれません。
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