コロナ禍が、本格的になった昨年今頃、やっぱり、情報を、一生懸命に追っていた。やや、興奮気味に。夢中に、なって。ただ、一年経った今になると、おんなじ気持ちには、なれない。自粛慣れと言えば、自粛慣れ。しかし、所謂疲れではない。感染症対策は、より丁寧になっている。不要不急の外出は、まったくしないし、買い物、通院、偶の役所。手洗いなど感染症対策も、ずっと丁寧になった。これは、良い意味での慣れか。ああ、これじゃあ、ウイルス付いちゃうな、とか、あれも駄目だね、とか、潰してきた感じ。例えば、スーパーに行って、除菌液で、テレビで学んだ、専門家の手洗い法に習って、丹念に、手洗いする。それから、スーパーが用意してくれた除菌ウェットティシュで、カートの取っ手部分、買い物カゴの手に触れ易い取っ手と上部を、丹念に拭く。更に、もう一度、除菌液で、手洗いする。そんな感じだ。
ただ、もちろん、それがどうしたと言う部分もある。だから、もちろん、他人にうつさないように、商品選びに、無闇に、商品を触らないことなどにも気をつける。それでも、多分、感染する、させる危険は、減らすことは出来ても、無くす事は出来ない、と思っている。
ただ、減らすことが、努力の限界かな、とも思ってぃる。自分も、いずれは、罹る覚悟は、しておこう、と。ワクチン接種を受けるとして、その前に罹るかも、知れない。受けた後でも、罹るかも知れない。症状を、軽減出来るかも知れないが。そんなもんだろう。決して、感染しただけで、致命的なウイルスでは無いが、とにかく、かつてなく、御し難い最悪のウイルスだろう。出なければ、これだけの期間経って、未だに、先行きが不透明な、訳はない。
優雅に、海を漂うマンボウではなくて、まん防だと言う。まあ、この首都圏の辺境には、発令されていないから、関係はない。しかし、いずれ発令されたとしても、マスク会食はしない。そんな時に、そんなルールが、推奨されるかどうかは、分からないが。
そもそも、自分は、会食そのものを、五か月くらいは、していない。その時も、夫婦の一対一の会食だった。仕事を二年前に、リタイアしてから、手術、入院、手術、入院、自宅リハビリ、そのまま、自粛引きこもり。会社の古い付き合いも、リタイア。面倒な親戚付き合いなども、目上が、みんな亡くなって、リタイアした。だから、会食の機会などある訳がない。マイペースで、テレビを見て、ネット検索して、書き物をして。リハビリの、室内運動をして。食材や、日用品は、安売りを、買い込みに行くが。それで、一日が、終わってしまう。足りないくらい。よく、仕事を出来る暇があったなと、不思議なくらいだ。まあ、生産性のない高齢者と言うこです。ごめんなさい。ただ、ちょっと前の現役中までは、一応、余計な浪費もせずに、社会の隅っこで、地道に働いていた結果の、倹しい年金生活です。許して下さい。一億総死ぬ迄働け!社会の、同世代の前首相。本当に、お許し下さい。
で、そんな引きこもり高齢者ですが。せっかくの会食が、マスク会食?行かねえよっ!そんなもん。会食って、和気藹々するのが、会食でしょ。マスク外して、一口食べたらまたマスク。何の為に、そんな会食するの?貧乏人だから、楽しくもない、楽しみ擬きに、使う金なんて、ある訳ねぇっ!
外食だけだったら、一人ですれば良いし。それだったら、メニューの増えた持ち帰りで、十分。まあ、色々、パーティションなど、細かな指示も出し、飲食店の規模別の支援とかもするようだが。なんだかな。本当、手詰まりなんだなあ。いっそのこと、みーんな止めちゃえば良いとか、無責任な思いが、吹き出してしまう。まあ、最近は、健保や介護以外の税金もたいして払うこともなく、働き盛りの若い皆さんに、おんぶに抱っこの高齢者なので、生意気な文句を、垂れていてはいけない。ひたすら、自粛引きこもりに、励みます。