時のつれづれ(北多摩の爺さん)

下り坂を歩き始めたら
上り坂では見えなかったものが見えてきた。
焦らず、慌てず、少し我儘に人生は後半戦が面白い。

元祖怪物「ハイセイコー」

2020年05月29日 | 時のつれづれ・皐月 

多摩爺の「時のつれづれ(皐月の15)」
元祖怪物「ハイセイコー」

スポーツ新聞に、スポーツの結果が載らなくなって・・・ 早や3カ月
プロ野球の開幕は6月19日に決まったが、センバツ高校野球も、春季高校野球も全て中止となり、
私の記憶が確かなら、大相撲の春場所が一番新しいスポーツの結果だと思うがどうだろう。

そんななか、無観客で毎週開催していたのが競馬である。
教育現場のオンライン授業や、オンラインでの在宅勤務や飲み会など、
なにかとオンラインが話題となっているが、

競馬会では既に30年以上も前から、電話投票を経てオンライン投票に取り組み、
固定客を掴んでいることから、新型コロナウイルスにびくともせず、影響を最小限に抑えている。

ギャンブルだから、あまり持ちあげることはできないが、
先見の明があるというか、さすがである。


閑話休題
風薫る5月、毎年この月の最終日曜日に行われるメインイベントといえば、
東京優駿「日本ダービー」だ。


いまでこそ、人気俳優たちがCMで盛り上げる競馬だが、
競馬に対する認識がギャンブルからレジャーに変わったのは、

昭和40年代の後半に現れた・・・ 1頭の怪物馬からだった。

白いメンコがトレードマークだったその馬は、ハイセイコーと呼ばれていた。
昭和47年の夏、地方競馬の大井でデビューした流星(鼻筋に白斑)の鹿毛(毛色)は、
出走した全てのレースで7馬身以上ぶっちぎり、圧巻の強さで連勝街道まっしぐら
あまりにも強すぎる勝ちっぷりに、スポーツ紙は色めき立ち、
翌年の春、ついに中央競馬に転厩してきた。


地方競馬と中央競馬の決定的な違いは、芝コースの有無もあるが何と言っても賞金だろう。
競馬社会は、基本的に競走馬が獲得する賞金の分配で成り立っているが、
その金額は中央競馬の方が圧倒的に高い。

強い馬が賞金を稼ぎ、馬主や調教師、厩務員、騎手などが分配している。

全ての競走馬に当てはまるわけではないが、出走前の競走馬の格付けは、
血統の良し悪しでほぼ来まる。

競走馬の買い付け(新馬のセリ)で、まだ走ってもない馬に対して、
驚くほどの価格がつき、スポーツ紙などで話題になることが、その証と言っていいだろう。

よって・・・ 血統が良い馬は、中央競馬に入厩して芝を走り、
成績が良ければ種牡馬になり自らの血を後世に残すが、

血統がもう一つの馬は、地方競馬でダートを中心に走り、成績が芳しくなくなると処分される。
当たりまえと言えば、当たり前なんだが、その仕組みには逆らうことは出来ない。

そんな中央競馬に、ダートしか走ったことがない地方競馬の馬が殴り込みをかけてきた。
しかも、いきなりクラシックトライアルの弥生賞(芝1800メートル)にぶつけてきた。

いくら地方での勝ちっぷりが良かったとはいえ、所詮はダートであって芝ではない。
また、1400メートル程度の短い距離しか走っていないことを普通に考えれば、
芝適性も距離適性も未知数であり、スピードもスタミナも分からないし、
血統の裏付けがあるわけでも・・・ なかった。


だが・・・ 地方競馬からやったきた6戦無敗の馬に、競馬ファンの熱は上がった。
いや、競馬ファンでなくても、日本人ならだれでも持ち合わせている
「判官びいき」の遺伝子が胸騒ぎを誘う。


所属する鈴木厩舎の主戦・増沢末夫を騎手に配したハイセイコーは、中央転厩の初戦にも拘わらず、
圧倒的な1番人気に支持されると、地方の時のように圧勝ではなかったものの、
1馬身3/4差をつけて弥生賞を勝ち、

クラシックレース初戦(皐月賞)の主役に躍り出た。

ところが・・・ 陣営は、着差や競馬内容に納得が出来なかったのか?
そこんとこは分からないが、3週間後にあった、
もう一つのトライアル(スプリングステークス)にも登録した。

おそらく着差もさることながら、芝適正にいまいち自信が持てなかったのではなかろうか。

二つ目のトライアル・スプリングステークスでも1番人気に支持されたハイセイコーは、
ここでも圧勝ではなかったものの2馬身1/2の差で勝つと、
無敗のままクラシック初戦・皐月賞を迎えることになった。


スプリングステークスから中二週で迎えた皐月賞・・・ この日は、朝から雨が降っていた。
距離は200メートル延びて2000メートル、それに加えての重馬場
中央に転厩してから負けてはいないが、地方で走ってたほどの派手な着差ではない。

不安を探せば切りがなかったが、距離適性以上に重馬場適性があったのだろう。
第三コーナーで先頭に立つと、第四コーナーでは馬場の悪いインをあえて避け大外を回ると
直線の坂上辺りで、グンと伸びて他馬を突き放してゴールに飛び込んだ。
結果的に2着に2馬身1/2差だったものの、着差以上の強さでクラシック1冠を達成する。

正直言って、このレースを見れば、ホントに強い競走馬だと思う。
地方の怪物が、中央のクラシックレース(皐月賞)で本物の輝きを見せてくれた。

次走はダービーへ直行すると思っていたところ、トライアルのNHK杯に出走する。
陣営は、直線が長い東京競馬場を経験させたかったのだと推測するが、
個人的には、この一戦が不要だったと思う。


前年の7月12日に大井競馬場でデビューしてから、皐月賞まで約9か月
中央へ転厩した際、11月27日から3月4日まで約3カ月ほど休んではいるが、
そこを考慮しても・・・ 半年間で9戦も走っている。
この間隔でNHK杯を使うと、ダービーは中二週で11戦目となり、
中央転厩から3カ月で5戦目になる。


不安を抱えたまま出走したNHK杯は、何とか期待に応えたもののアタマ差という辛勝
さすがの怪物ハイセイコーにも、そろそろ疲れが見えてきたころ運命のダービーを迎える。

普通に考えれば不安要素はあったものの、現実として負けてないのだから、
ファンは怪物ハイセイコーを1番人気に支持した。

さらにマスコミの扱いも尋常ではなく、
ニュース番組で取り上げられるんだから本当に凄いことになって来た。


5月27日、晴れ、良馬場の東京競馬場で行われた日本ダービー
第4コーナーを回って坂を上ったところで、ハイセイコーは逃げ馬を交わし先頭に立つが、
タケホープとイチフジイサミが並ぶ間もなく抜き去ると・・・ 後は差が開く一方
それでも4着に1馬身3/4差をつけて3着に入るが、勝ったタケホープとの差は0.9秒(約5馬身)

負けた。
怪物が負けた・・・ しかも完敗
それは、誰もが信じたくない瞬間でもあった。

ハイセイコーは、ダービー以後も1番人気を背負い続けるが、
残念ながら・・・ 2000メートルを超えるレースでは勝てなくなっていった。
次に勝ったのは、翌年3月の中山記念、それが皐月賞と同じ舞台だったのも何かの縁だろう。

生涯成績は22戦して13勝(地方6戦6勝、中央16戦7勝)だが、
凄いのは・・・ 1番人気に19回も支持されていることで、
2番人気でも2回、3番人気でも1回支持され、
出走した全レースで馬券の対象として支持されていた。


また、現在のGⅠ(当時、グレードの格付けはなかった)に該当するレースの勝利は、
皐月賞と宝塚記念だけだが、クラシックではダービーを3着、菊花賞を2着、
さらには二度出走した有馬記念では3着と2着、天皇賞(春)では6着、
獲得賞金は、約2憶2000万円にのぼる。


人気に見合う輝きを失ったハイセイコーは、昭和49年の有馬記念で引退することになる。
先攻抜け出し、そして・・・ 突き放す。
逃げや追い込みといった極端な脚質ではなく、正攻法で走る安定度抜群の競走馬だった。

地方からやって来た、白いメンコをつけた怪物を私は忘れない。
ただ残念であり、心残りだったことを・・・ 一つだけあげるとすれば、
ハイセイコーが走っていた当時(昭和48年~49年)、
私はまだ未成年で彼に1票を投じることが出来なかったことだろう。


時代を愛し、時代に愛され、時代を作った名馬・ハイセイコーがターフを去って15年、
はからずも昭和の競馬が最後の年になった昭和63年
地方競馬の笠松で、連勝街道をまっしぐらだったオグリキャップが中央に転厩し、
再び競馬ブームを巻き起こしたことは・・・ 記憶に新しい。

オグリキャップは、クラシック登録がなかったことから、三冠レースへの出走は叶わなかったものの、
天皇賞(秋)からジャパンカップで好走し、暮れの有馬記念を勝って、
競馬をギャンブルからレジャーへと定着させてくれたことも・・・ 忘れてはならない。

余談になるが、ハイセイコーが引退した直後、
主戦騎手だった増沢末夫が「さらばハイセイコー」という歌を出し、

ヒットしたことも・・・ 忘れられない昭和の思い出だ。

競走馬が歌になったのは、私の記憶が正しければ、
「走れコータロー」と「みどりのマキバオー」ぐらいだから、

今となっては、実に誇らしいことじゃないだろうか。

今年もまた、日本ダービーのファンファーレが、心地よい薫風に乗って府中の杜にこだまする。
シンボリルドルフ、ナリタブライアン、ディープインパクトなど、
名だたる三冠馬の勝ちっぷりもアッパレだが、

ハイセイコーの負けっぷりに、戸惑いと震えが来た、あの日のことを忘れない。

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さらばハイセイコー  (歌 増沢末夫)

1番 誰のために走るのか 何を求めて走るのか
   恋に別れがあるように この日が来るのが恐かった
   ありがとう友よ さらばハイセイコー

2番 栄光目指しまっしぐら 逃げろよ逃げろよ捕まるな
   愛の右ムチ打ちつけた 恨んでないかいこの俺を
   ありがとう友よ さらばハイセイコー

3番 幾十万の観衆に 真ごころ見せたその姿
   哀しいだろう辛かろう 戦い終って馬場を去る
   ありがとう友よ さらばハイセイコー

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ハイセイコーの競走成績

年月日        競馬場 競走名      距離      人気 着順 着差
1972. 7.12 大井  未出走      ダート1000  1  1 8馬身
      7.26 大井  53万上     ダート1000  1  1 大差
      9.20 大井  秋風特別     ダート1200  1  1 7馬身
     10. 9 大井  ゴールドジュニア ダート1400  1  1 大差
     11.11 大井  白菊特別     ダート1400  1  1 7馬身
     11.27 大井  青雲賞      ダート1600  1  1 7馬身

1973. 3. 4 中山  弥生賞      芝  1800  1  1 1.3/4馬身
      3.25 中山  スプリングS   芝  1800  1  1 2.1/2馬身
      4.15 中山  皐月賞      芝  2000  1  1 2.1/2馬身
      5. 6 東京  NHK杯     芝  2000  1  1 アタマ
      5.27 東京  ダービー     芝  2400  1  3 ‐0.9秒
     10.21 京都  京都新聞杯    芝  2000  1  2 ‐0.1秒
     11.11 京都  菊花賞      芝  3000  1  2 ‐0.0秒
     12.16 中山  有馬記念     芝  2500  1  3 ‐0.2秒

1974. 1.20 中山  AJCC     芝  2400  1  9 ‐2.1秒
      3.10 中山  中山記念     芝  1800  1  1 大差
      5. 5 京都  天皇賞(春)   芝  3200  1  6 ‐1.4秒 
      6. 2 京都  宝塚記念     芝  2200  2  1 5馬身
      6.23 中京  高松宮杯     芝  2000  1  1 1.3/4馬身
     10.13 京都  京都大賞典    芝  2400  2  4 ‐0.7秒
     11. 9 東京  4歳上オープン  芝  1800  1  2 ‐0.3秒
     12.15 中山  有馬記念     芝  2500  3  2 ‐0.8秒


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