ひとりついった

ただひたすら、ひとりごと、つぶやき続けます!

キャラメルボックス ■■ナツヤスミ語辞典■■

2011年08月06日 | 観劇
キャラメルボックスのお芝居観るの久しぶり!



この脚本は、成井豊さんが27歳の時書いたそうです。
今から20年以上前。

だから、今観ると、ちょっと古くさいんじゃないかな
なんて心配していました。

集団でセリフを次々にシャウトするお芝居
昔観た夢の遊眠社のお芝居も
ちょっと思い出しました。

最近の小劇場の作品は
セリフのやりとりなど、ナチュラルな音量
ナチュラルなスピード
ナチュラルな身振りのものが多くなっているような気がします。

だから、ちょっと懐かしい気分になりました。



20年以上前と今では
「カメラ」を巡る情況が大きく変わってしまっていて
20年前は、フィルムをカメラに入れて
現像しないとどんな写真が撮れたか確認できないけど

今はもう...ご存じの通り。
5年前のデジカメでさえ、骨董品のように見える
進歩の早さ。

「カメラ」が重要な小道具になっているこのお芝居
舞台を「2011年」という設定にすると
ちょっとリアリティがなくなってしまうような...



それから、衣装も妙にレトロだった...
あれは、初演の時のものなのかなあ?



演出家は、27歳!
20代の役者も沢山参加していたみたい。

と、いうことで
20年以上前の作品であること
15年前を振り返り、過去の謎を解くストーリーが
「懐かしさ」「セピア色」の気分にさせ

一方で

若い演出家と役者による舞台と
中学生の夏休みという設定が
瑞々しい、躍動感溢れる魅力も感じさせてくれました。



私は、おもしろいと思えるまで時間がかかって
終盤になって
「ウラシマとナナコは何者なんだ!?」
という謎解きが進んでいくに連れて引き込まれ
ホロッときてしまいました。



ちょっとストーリーネタバレしてしまう感想
言うと...



15年前の誤解を解くために
幽霊になって会いに戻って来てくれた夫。

なんだか、キューンとなる設定。



15年間、ムロマチを苦しめてきた
「夫に裏切られた」という「誤解」が解け
心の澱みはなくなりました。

死んだ時のまま、全く変わっていない夫に再会できましたが
自分は15年、歳とっている...
2人が身を置く、時間の流れの違い。

そして、夫は天に帰らなければならない。
ずっとここで一緒に暮らすことは出来ない。



それでも、嬉しい
会いに来てくれたことは、嬉しい。



この妻の気持ちの描写が
もう少しだったような気がしました!
もっともっと、感動的になったのでは???



20代の頃だったら
叶わない片思いを続けるナナコの方に感情移入していたと思います。

どんなに好きでも、思いを伝えてはいけない相手。

ナナコの気持ちに鈍感なウラシマへの苛立ち

それでも恋しい。この気持ちは止められない。

ウラシマの妻、ムロマチへのジェラシー。

そんな報われない気持ちを抱えたまま死んでしまったナナコ。



ナナコの描写も
もっともっと切なく出来たんじゃないのかな~。
なんて思う。



死んだ時は、娘は、まだ妻のお腹の中にいたから
自分に娘がいるなんて知らないまま、死んでいったウラシマ。

この世にいるとは夢にも思わなかった
我が娘との出会い。

娘は14歳になっていて
対等に話をすることが出来るようになっている。

父親というものは母親と違って
「自分の子どもだ」という実感を感じにくいのだと思うけど
カメラの話を一緒にする中で
自分の血が流れている実感
自分は父親なのだという実感を感じたのではないかな?



自分の父親(幽霊なので年齢は15年前のまま)と
生まれて初めて出会った中学生の娘は
それほど感傷的ではなく

「お父さん」と呼びかけることも
抱擁しあうこともなかった。

よく分からなかったんだけど、もしかして
ウラシマが父親だと気付いていなかったのかな?



やろと思えば、メロドラマのように
お涙頂戴のシーンが出来たろうけど
ここは、爽やかに描いているところがよかった。



キャラメルボックスの代表作と言っていい
「ナツヤスミ語辞典」観たから

今度は新作観てみたいな。
20年以上前じゃなくて
今という時代の中で生まれた作品。

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