思いきって引越してみたの。

だいぶ生きました。
ヘトヘトになりながらも家を売って、
水害の地を去りました。

紫陽花に間に合った。

2024-06-28 15:49:00 | 日記
新しい土地で煮詰まりそうになると
長く住んでいた場所へ、車を走らせる。
遠路と呼べる距離です。

その地では
人間関係が大破綻しただけ。
だけど深呼吸した森や 
好んで走った道は、何も悪くない。

紫陽花がとても綺麗に咲くポイントへ
行ってみたら ああ すごい
大好きな青が 咲いていた。

雨音を聴きながら
後部座席に寝そべり
なんと1時間も午睡をした。





お昼寝が苦手だったのに。
こんなに気持ちよく
目覚めるなんて びっくりだ。


縁起でもないけれど
私の骨は ちょっとだけ粉末にして
この谷に撒いてもらえたらな
なんて考えちゃった😆










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痛いわー

2024-06-28 12:04:00 | 日記
買ったばかりの夏靴で
やっぱりこうなってしまいました。

足だけシンデレラ😥
とか思えば 痛みも和らぐ?


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30年ぶりの献血

2024-06-23 23:09:00 | 日記
癌を患った人は
ずっと献血は出来ないものと
思っていた。

ところが赤十字のページを
よーく読んでみたら
治療終了から5年が経過したら
OKとあった。

私は今年で8年目になる。
睡眠薬の類も、前日の服用ならば
当日の献血に影響はないそうで


じゃあ😀 行くか!!


電車に乗って大きな献血ルームへ。
まず最初に驚いたのは
30年前に遡る私のデータを
日赤のDBが保存していた事だ。
凄いんだな。

転勤を繰り返したので
順を追っていき、20代の時に
20回ほど献血歴のある私へ
たどり着いたようだ。

晴れて、再登録完了。その後
実にいろいろ聴取を受け
どれもパス出来て、400ml献血を終了。

社会貢献なんていう大それたものは無くて
ただ献血すら出来なくなった自分が
いっとき ちょっと悲しかったので
「 献血、出来たのね 」 と
夢を見ているようだった。


帰りに ちょい飲みしよう!と
思っていたのは事実。
だから 都会の献血ルームまで行ったのに

なんと なんと
飲酒は最低2時間あけよ、と
看護師さんから説得されて😣萎えた。

少し息切れはあったので
デパ地下をフラフラして
美味しそうな浪速寿司をお土産にした。

どんなお店を見ても
ビール無しで食べる気にはなれず
(蒸し暑かったのでね)
お寿司を大事に抱えて、まっすぐ帰宅した。





お家で飲んだビールは
いつもより旨くて!!
スルスル身体に染み込んでいった。
この小さな華麗なお寿司も美味しくて
なんとも 小さな幸せを感じた日でした。


次回の献血はできる限り
お昼の時間に済ませよう…
そんなことを企んでいる。


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突然すぎる事態。

2024-06-13 00:38:00 | 日記
実家で母と同居していた妹が倒れた。

倒れた というよりは
限界を超えたので
母によって病院送りにされた

と言うべきか。


小さな店舗を実家で開いていたのに
常識知らずのご近所が
同じ業態(洋菓子系)のお店を
オープンさせ、お客さんを奪おうとした
数年前から少しずつ妹は蝕まれたのかもしれない。



4月に会った時、少し辻褄の合わない
被害妄想を口にしていた。
それがこの半月の間に みるみる
酷くなったようで、80才の母が
渾身の力で説得し
精神科に連れて行ったのだ。


「どこの医者がいいのか?」 と
先日夜中に、悲壮な電話が母からあって
数時間 検索しまくった。

即入院。
何ヶ月かかるのだろう。

退院してからのことも
想像を超える。


だけど毎日 
妹の妄想にウンザリしていた母は、
やっと眠れる! とサバサバしていた。

母の軽度認知症は
母が深刻にならずに済む助けと
なったようだ。


そんでだ。
母が希望する老人ホームや
妹の今後を考えるのは
自ずと私になるのか と

見回したら 私しか
残っていなかった。
とてもサバサバには
なれない私。

50代半ばで発症するのか…



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紫陽花の花

2024-06-07 14:16:00 | 日記
ガクアジサイが咲き始めました。

老眼だとフォーカスが難しい!





小さく咲いている紫陽花の
本当のお花 見えますか、



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