足を運んでいただき
どうも
ありがとうございます
大好きな父が
急逝してからの一週間は
ほとんど
記憶がありません
今ゆっくり
記憶を辿ってみると
その一週間は
ただ
〝父の娘〟にしかなれず
妻として母として
何もやれていませんでした
でも
わたしが
〝父の娘〟に戻れたのは
主人が
子ども達を
守ってくれたからです
子ども達も
大好きなおじいちゃんを亡くして
悲しくて
たまらないのに
「げんきだしてね」
「だいじょうぶ??」
と毎日のように
泣くわたしを見ては
心配して声をかけてくれ
いっぱい
ガマンをさせてしまいました
実家が離れているので
簡単に
行き来できる距離でないため
葬儀などを終えて
ひと段落すると
主人が気を利かせてくれ
ひと足早く
子ども達を連れて
新幹線で自宅へ戻り
わたしは
少し
実家に残らせてもらいました
主人は
わたしに代わって
子ども達の母にもなってくれました
わたしは
後日
ひとりで自宅に戻りましたが
帰りの新幹線でも
父を想い
ずっと
涙が止まりませんでした
最寄りの駅に
迎えに来てくれた
主人と
子ども達を見た時に
少しずつ
また
現実の中で
前に進めた感じがします
最近は
ひとり泣いて
新幹線に乗った時の事を
ふと
思い出します
そして
このコロナ禍に
父は
あまりにも突然に他界しましたが
それでも
まだ
初めての緊急事態宣言が
出る前だったので
葬儀の時は
家族みんなが揃いました
この一年は
大好きな家族にさえも
コロナで
軽々しく会えない日々が続いています
主人も地元が同じなので
義両親にも
なかなか会えない子ども達の姿を
見せる事が出来ました
その事を考えると
きっと
家族思いだった父は
命にかえて
家族みんなを
会わせてくれたのかもしれません
そう思う事で
コロナ禍の
突然の父の死を
受け入れられるような気がします
ここまで読んでくださった
みなさんにも
本当に感謝です
「ありがとうございます」
何だか
どんよりした内容になって
すみません
父は
いつも優しくて
それでいて
とてもユーモアのある人でした
なので
というのも何ですが、、笑
最後に
過去に登場した
〝ヘンテコ福笑い〟を載せますね
みなさんにとって
ひとつでも
何かいい事がある一日に
なりますように