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たろすけ大分・雑感日記

いつ起きるのがわからないのが大災害。
できる限りの備えをして減災に努めたいと思っています・・。

『手を合わせて拝みたい…』と小学生殺人犯

2006年06月10日 | 犯罪と裁判・法律
秋田県の小学生殺人・遺棄事件容疑者として逮捕されていた女が自供した。
いまさらどんなに後悔し謝罪しても殺された子供は帰らないのだ。

自らの手で故意に行われた殺人については何らの言い訳、
そして反省の言葉はは何の意味をなさない。
なぜなら失わせた命に値する対価はないからだ。

それは計画的であろうとなかろうと関係ない。
故意の殺人者にはその贖いとして死刑しかない。
それでも足りないくらいだと思う。

不完全な人間は様々なことで悩み迷い過ちを犯すものだが、
こと殺人だけは犯してはならない過ちであることを知るべきだと思う。
それが人として生きるための最低限の条件ではなかろうか。

親は自分の子どもに対して
まずそのことを教え込む必要があると思う。
このような悲劇を繰り返さないためにも・・・
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またもや“逃げ得”公認ですか?

2006年01月04日 | 犯罪と裁判・法律
2001年に大阪府池田小学校でおきた児童殺傷事件をきっかけに、警察への非常通報装置の設置が進められた。…が、大阪府警OBが役員を務める「大阪府防災通信協会」はその説明書で『関係機関の方針により、協会が設置、運用、管理を行う』と、同協会以外に選択肢がないように偽り(あえてこう書く)独占的に工事を受注したとして大阪府警から“厳重注意”を受けたという。

同協会は『独占する意図はなかったが、誤解を与える表現だった』とトボけた言い訳をしているが、その意図は明らかであろう。結果的に独占受注がほぼ達成された今になって、まるで“待ってました”…とばかりの“厳重注意”など一体何の意味があるのだろうか。それは市民を欺く形式的なものに過ぎない。この協会は不当に利益を独り占めし続ける…明らかに“逃げ得”だということだ。

大阪府警とその天下りOB団体とのこうした図式は、水戸黄門に登場する“悪代官と悪徳商人”に重なってみえてしまうのは、たろすけだけだろうか。実際、民間企業が同じことをすれば“悪徳業者”として徹底的に吊しあげられ摘発されることだろう。
『お主もワルよのう…』… と、ほくそ笑む関係者の声が聞こえてきそうである。行政側の対応の不公正さは、国民の不信感を限りなく増し加えるだけ…だと思う。
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憎いヤツの合法的な殺し方 補足

2005年12月27日 | 犯罪と裁判・法律
この書き込みは 2005年04月28日 の“憎いヤツの合法的な殺し方”の補足です。
コメントのお返事を書いていて、新たに日記として掲載することに致しました。

 *  *  *

たろすけだって殺人犯であれ、
人ひとりを死刑にすることに諸手を挙げて賛成しているわけではありません。
一人の人間を“合法的”であれ殺すことが気持ちの良いことであるはずがありません。

しかしそうした犯罪者の再犯による犠牲者が後を絶たない現実を見ると、
次の犠牲者を出さないためにこの世から消えて欲しいということなのです。
実際、殺人犯やそれに類する犯罪者がこの世から消えていれば、
殺されなくて済んだ犠牲者の数はハンパではないでしょう。

それでも世の人権擁護団体や弁護士たちは犯罪者の人権擁護を叫び、
結果として殺人者の命の方が大切だ! …と、主張しているも同然なのです!
言い換えれば世の中の人権擁護団体や弁護士は、犯罪者の人権擁護の名のもとに、
新たな犠牲者を作りだしている“合法的な殺人幇助者”ではないかとさえ思えてくるのです。

それでも“(犯罪者の)命が大切”だと犯罪者を養護する“(犯罪者の)人権擁護団体”さん。
100歩譲ったとしても、少なくとも15年で出所できる
“無期懲役刑”なる名ばかりの懲罰…を厳正に守らせ、
2度と世に出すことなく重労働で一生を償うべくようすべきだと思います。

●参考:モトになった書き込みです
  憎いヤツの合法的な殺し方 2005年04月28日
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人ひとり刺し殺しておいて“包丁が刺さった”だと!?

2005年12月26日 | 犯罪と裁判・法律
26日の地元紙夕刊の記事。

今年10月19日大分県三重町で母子が包丁で刺され死傷した事件の初公判があった。
被告は交際していた女性と思うように復縁できないことから女性宅に侵入。女性の4歳の女児を包丁で刺し殺し、女性に対しても頭や顔を複数回突き刺し3ヵ月の重傷を負わせた。

しかし今日の公判の殺人罪の起訴事実について「殺すつもりはなく、包丁を刺したのではなく、刺さったのだ。… 刺したことは記憶にない」と、殺意及び殺人未遂罪を否認。弁護人も殺意を否認し、「被告はうつ病と飲酒により心神喪失状態だった」として無罪を主張したという。

こんな馬鹿げた理屈をコネまわし殺人男を擁護する一方、被害者を“殺され損”だと言わんばかりに侮辱するに等しい弁護士の思考回路…。こんなのが法律に照らした結論だというのだろうか。法律論など知るよしもないが何かおかしいと感じないのだろうか。いいかげんに“心神喪失=無罪”の図式は改めるべきではなかろうか。

●参考:関連日記ですよろしければどうぞ
  ◎憎いヤツの合法的な殺し方 2005年04月28日
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頻発する少女殺人事件に思うこと

2005年12月13日 | 犯罪と裁判・法律
今日、塾講師の大学生に殺された少女の葬儀があり
父親の述べたという言葉をニュースで聞いた。
もしたろすけが、この父親の立場だったら
犯人を自らの手で殺したとしても我が子を殺された恨みははらせないだろう。
なのにまた、“精神鑑定を…”などという声が聞こえてきた…。…ざけるな!

大学で犯罪を起こさせないための犯罪心理学を学び、サークルで
子どもの教育について学び、塾講師として子どもたちを教えていながら、
それでいてあれだけの周到な準備をして
少女の命を奪っておいた殺人者の人権をどう擁護するというのだろうか。
何度も書いてきたが犯罪、とりわけ故意の殺人は
“その結果”によって裁かれるべきであり死刑しかないと思う。

折しもペルーから偽名で来日し、小学1年生の女児を殺しておきながら
“殺すつもりはなかった… 親に許しを請いたい”などと
身勝手な命乞いをしていることが報道されていた。
“殺すこと”は命を奪うこと、
とりわけ人を殺す殺人…それは取り返しがつかない重罪なのだ。
それは“許しを乞う”などというレベルの問題ではないと思う。
故意に行った殺人は死刑に…。
それが“命の大切さ”を知らしめる一つの方法でもあると思う。

それにしても… 12日夕刊の記事…
“彼女(被害者の名前)が消えてしまえば苦しみから解放される”・・と
塾講師の大学生が教え子を殺した理由として供述したという。
ここまで短絡的に人を殺すことを正当化させ周到に準備し、
実行させるまでに至らせるもの… それは殺すことを娯楽に利用した
一部のドラマ、ゲームなどの影響、その“洗脳”する力を
無視しては語れないと思う。

●追伸:
  14日、若干文章を変えました。
  塾講師の大学生、在学中に20件以上も窃盗を働き逮捕され
  執行猶予期間だったという。
  またもや犯罪者に甘い処置が、今回の悲劇を生んだ・・
  とは言えないだろうか。  その当時の弁護人に問いたい。
  構成の名の下に犯罪者に甘くするのもいい加減にしろ! …と。
コメント (2)
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